彫刻メモ121223

フェイスブック経由でアントニー・ゴームリーとアニッシュ・カプーアの新作を、Webでだけれどもちろん、見た。
ゴームリーは実作を見たことがあるが、今も札幌芸術の森にあるものを時々見るのと、もしかしたら同じ場所でまとめて作品を見たような気がしてきたが、記憶が薄れているが・・・カプーアは、美術手帳などで見たことがあるだけ。

アニッシュ・カプーアは以前知っていた感じと違う感じのものがあり、面白いが、そのうちちょっと無節操じゃないかという気もしてきた。でもさすがに面白そう。シドニー・・・オーストラリア現代美術館で、おとといからやっているみたいだ。

ゴームリーが面白い。お金持ちだったら見に行くな。お金持ちなら仕事などせず世界の展覧会を見ているだけで一生終わってしまうか。
以前の人間(作家自身?)から延長して(?)作ったものより、画像で見た限りではもっと好きだ。こんなふうに作家に対するイメージが裏切られるということほど刺激的なことは、なかなかないのではないか。
とはいえ、直方体の組み合わせながら人体を連想させるところは、かつてのシリーズ(?)との関連を伺わせる。そのこともあわせ、面白い。
材質は鋳鉄らしい。大きなモノは Weathering steel なんて書いてあるけれど、なに鉄だろう。「耐候性鋼」と、訳されたが。
あとは、ゴームリーの作品は、彫刻と言っていいのか、という疑問を持った。人体との関連性を考えてもある意味彫刻の王道で、20世紀彫刻の代表的な特質である抽象的な要素もあるといえるし、材質も、スケールへの意識もすぐれた現代彫刻以外の何モノでもないと言いたくもなるが、何かちがう気がする。

カプーアは彫刻らしい気がしてくる。
イサム・ノグチやムア、ヘップワース、このあたりはもう20世紀彫刻のクラシックで、セラ、ヘス、あるいはジャッドやソル・ルウィット・・・このへんになると彫刻かどうか怪しい気がしてきたが・・・それを考えると、彫刻かどうかを気にすることに意味があるのかが気になってくるが。
その後の世代にあまり興味が持てない私はモダニストかもしれないとか、フォーマリスト・・・なんて言葉が浮かぶ。
そういえば、デヴィッド・スミス、アンソニー・カロ、リチャード・ディーコン・・・なんて続けて書いていいものか・・・最近ちょっと見直したくなってきていた。
ジョン・ダフなんて人の作品がおもしろそうだと思ったこともあった。ジョエル・シャピロ・・・。
場合によってはジェームズ・タレルなんて人まで、思い出してしまうが、あるいは艾未未・・・単にオリンピックスタジアムの造形が現代彫刻的だという連想か・・・。蔡國強・・・。ウォルター・デ・マリア・・・。
ヨーゼフ・ボイス・・・。
日本では村岡三郎が気になったりするが、話がそれているだけか。

奈良美智の彫刻が話題になっていて、くやしいが私も面白かった(これも美術手帳で見ただけだが)。あれも先入観がくつがえされるようで一貫したモノもある、ということで連想した。
単に連想したことを書いていると収拾がつかなくなる・・・。

そもそもが彫刻を話題にするということに私の20世紀原理主義的な、または厨房と言われるようなにおいがにじみ出てしまっている気がする。が、こだわってきたのだろう、こだわっていることがあたりまえになってこだわっているつもりもない気がしてさえいるのだ。いや彫刻ということはあたりまえに私のなかで生きている。ただ、私という存在が生きているかというとあやしい。

中原佑介美術批評選集〈第6巻〉現代彫刻論―物質文明との対峙

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アートレス―マイノリティとしての現代美術 (ArtEdge)

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