永島慎二さんを偲ぶ

7時のNHKニュースで見て、アッと声をあげてしまった。
永島慎二さんのマンガに夢中だったことがある。
「コミック・ボックス」というマンガ批評誌に、「夏休み」という短編が載ったのを読み、感銘を受けてそれを含んだサン・コミックスの「少年期たち」を手に入れた。そのうち古本屋でハードカバーのものも手に入れた。見つけるたびに手に入れたはずだったが、そのダブりを含め、私の手許には9冊があるだけだ。
そのように熱中していた頃から、しばらく経って、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を漫画化した新刊を手にとることになったのは、今奥付を見ると、1996年の暮れ近くだ。9年ほど前・・・。あとがきを読むと「ストオリイ漫画を描かなくなってから16年」とある。

永島慎二さんのマンガに出会ったことが、実は私が美術をはじめたことと、どこかで関係があったのではないかと、ぼんやりと思った。
永島さんの独特の絵柄に最も影響を与えているのは、あまりに安直な連想かも知れないが、シャガール・・・ピカソかな。全く安易な連想だが、宮崎駿だって永島慎二を読まないわけがなく、影響を受けないわけがなかったのではないか・・・。
面白いものを手当たり次第に追い求め、ロックに、宮崎駿に、永島慎二にと傾倒する。高校生時代だったか・・・。宮崎駿のせいで、アニメに・・・おたく的なようなそうでないような感じで熱中し、なぜか美術部に入って絵を描き始め、大学でも絵を描くことにして、おたくとは反動で距離をとっていった・・・。その反動の契機の一つは宮崎駿で、このひとはアニメなんぞ見るなと言っていた。表面化はしなかったかもしれないが、おたく的なものと縁もゆかりもないかも知れない永島慎二さんの作品群から詩的なものや芸術的なものを吸い込んだことが、欲望あふれるおたく文化(そのこと自体を否定するつもりはない)からの離脱をうながしたのか・・・。少なくともなにがしかの違和感を感じるきっかけにはなっていただろう。
そして、もう私はほとんど絵は描かないが、絵を描いていた頃の私の人物描写に最も影響を与えたひとりとしての永島慎二の存在を、いままで気付かなかったのかも知れないなどと、幾冊かをパラパラとめくりながら考えた。昔熱中していた頃は、単に「好きな感じの絵」だと思っていただけだったが、今見ると美術としての面白さがそこかしこに見いだせる。

ひとつかなしいのはそのおもしろさにひたるのをさえぎる何かがわたしのなかにあることだ。それをなんとかおいだすには、どうすればいいだろう。なんとかおいだし、そのとき思う存分永島慎二さんを偲ぼう。

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