自民党と民主党

変なタイトル。


自民党内で谷垣執行部批判が続出。舛添氏に続いて、与謝野氏が、離党も辞さないとのこと。ニュアンス違う?
私の中でこの二人の評価は今まで以上に下がったが、どうしてなのかと自問自答してみると、この二人は、内容はともかく、ちゃんと仕事をしている感じはしたのだ。あるいは、谷垣氏だって、仕事をちゃんとしそうな人だ。どちらかというと。谷垣氏が野党の、あるいは政党のリーダーとしてふさわしくないとしても、今のタイミングでの批判、その内容、そして彼らの資質も谷垣氏とどっこいどっこいではないかと思われる。あるいはそれ以下。びんぼうくじを引いた人間をおとしめてどうするんだ。
が、まあ、こんなものか、というのが、自民党に対する現在の私の認識。


小泉氏みたいなことをやりたいのかなあ。
もっともらしい(?)鮮やかな(?)レトリック(笑)、あれがどうして通用したのかは、彼が暴れる前の、国民の政治へのイメージ、世論の空気、を、もう一度再現してみないと、もはや理解しにくいどころか、後悔するしかない事象なのだろうが、私の記憶力と、当時の私の理解力のために、何か政治バブルが起こっただけというような言葉しか浮かばない、が、実のところどうだったのだろう。
なぜ彼の言葉が説得力を持ったのか。党内、国内に・・・。虚言だらけだったのだけれど、一片の真実らしきことがあったのだろう。それは何か。もちろん真実といっても、彼にとっての真実でしかない。と、私は思っているが。
財政の立て直しと、企業関連の制度変更(これらにまたがって、「構造改革」という言葉が使われていたのか)。郵政というものの大きさ、は、しかし、なんだったのか。あれが違った方向に軌道修正されるようだが、これで彼の「業績」の大きな何かはチャラになる、否定されるのか。
もう一つ、一連の政権での制度改革で行われたことのおおきなものは、 派遣労働に関するなどの雇用制度改革、これは、現政権で修正できるのだろうか。現政権への、支持というよりはシンパシーを抱けるかどうかの一指標だが。難しいのかな。
そのほかは、あまりたいしたことをやってきたようではない。安倍政権時代にたくさん法案が通っていく様子を、深夜のNHKテレビの箇条書き放送で見た覚えがある。あの中身は、覚えていない。そこで出ていた様々のことに関して攻防もあったのかもしれないが、参院選に敗北する前までは、数の論理を最大限利用していた気がする、しかし、敗北したというのには、数の論理を使えるうちに使ってしまおうという、すでに敗北を見越したような動きにも関わりが・・・ナニヲカイテイルノカ。
彼らは何をしたかったのか。森(現町村)派。岸、福田、安倍・・・これらの人たちの作ってきた政治の流れと、利益を共有するグループとは、何だったのか。自民党内での勢力もすでにけっこう弱めているが、もういいのかなあ。やるだけやったと思っているのか。彼らと利益を共有する人脈というのが、経団連系統の経済界人脈で、というのはうがちすぎかもしれないが、彼ら企業グループと現政権とは、かつての自民党時代ほどの蜜月を感じさせない。政権にすり寄る部分はどうしても生じてくるだろうけれど、しかし、彼ら(財界人たち)はそのあたりまで、つまりは民意までは考えなかったのか・・・。民主党よりの財界人というものも、日本航空の再建に関わることになった京セラの稲盛和夫氏など、いるのだろう・・・。
あれ、何の話だっけ。


とにかく、以上のような自民党森派的政策と、すこし違うことをやりたいだろう舛添、与謝野氏も、何か政治の世界での自分の存在感を増していくための方策として、何かレトリックのようなものを駆使したがっているように思える。で、マスコミ構成員の一部も何かそれを重要なことだと思っているのかもしれないし、そこに連なっていることが・・・まあ、いいや。
小泉氏が「権力闘争」という言葉を使ったことがあり、それを必ずしも表向きには是としていない、少なくともそんなことばを使うことは避けてきた状況で、「ウケ」る、感じがして言ったのだろううし、実際にウケたかどうかはともかく、ある種の仁義なきたたかいを美化する方向に動いたと思う。若手政治家も、あるいは中堅も・・・実際に仁義なき戦いをしてきた大物たちも。胸がすくような感じがちょっとしたんじゃないか。
ある種、一瞬政権に対するカウンター言論が無効、消滅した気がするのだが・・・。
そんなメンタリティが、政治家たちを安物にした気もするんだが、舛添氏などは、有能な部分もあったのだろうが、責任がなくなってこれだからなあ。ヒロイズムというか、なんというか・・・。


実際にヒーローだった、しかし、ダーティーなイメージの全くない、違ったタイプの長妻氏がバッシングを受けているのを見て、安易な思考の流れ、期待したいけれど、そんなにうまくいかないかもなあ、から、やっぱりダメか、への、安易な雪崩をマスコミと共有しちゃっているひとたちが、少なくとも数字の上でも、いるのだろうし、マスコミもそんな意地の悪さを楽しんでいるようでもある。もっとそれが純粋培養のように現れているのが、ネットでの無責任な発言で・・・残念な感じがするのだが・・・。
あのようにラジカルな形で政策に切り込んでいくなかで試行錯誤を繰り返し、政策、実際の行政が鍛えられる部分は大きいだろうと思われるのであって、民主、自民問わず継続される日本の行政の歴史にとって、ああいう人が政治に関わっていくことの意義は大きいと感じられる。その経験から手法を鍛えるとか、柔軟な思考法を新たに獲得するとか、そんな契機になる政治家は、ある種の官僚たちにとってあらまほしいと思うのだが、そうなってくれるものか・・・。また、私は長妻氏に期待しすぎなのか。
似たタイプの政治家として、私は菅直人氏がいると思っているのだけれど、なかなか辛そうだけれど・・・。


民主党内は、自民党内と違って、批判が出ない、抑えられているなんて発言があったり、意見がまとまっていない、寄せ集めだ、自壊するだろうと言われたり、自民は政権に着いていなければ、タダの箱・・・じゃないや、烏合の衆、っぽかったり、いろいろ考えている私も、マスコミの目を自分の中に取り入れてしまっているだろうとは思う。ある程度は覚悟しなければならないことか。
そんなことに関する話題としては、反小沢、あるいは民主党右派といわれるものがあるという、そのあたりがなんか疎ましい。私には。
邪推に近いと言われるかもしれないが、菅、長妻(この人の人脈は知らない)、この両氏は貧乏くじ、岡田、前原は貧乏くじだともそうでないとも言える、仙石、枝野はおいしいポジションじゃないかと、仕切りが民主党支持の最大のアイテムとすらとらえられそうな中での彼らのにやけた顔、遅刻して笑っていたという・・・。
世論には左派に対する根強い警戒感があるはずで、それだけで中道か、右派かもしれないと思われている人たちにアドバンテージがある。自民党内の右派が、趣味的な右翼のにおいプンプンで鬱陶しいけれど、保守的な重商政策が最善と考えているような人たちには最も支持しやすいかもしれないにしても、ただし、彼らには軽薄で腰が据わらないところがあると思っているかもしれないものの・・・しかし彼らも政権内でそれなりには鍛えられているような気もするのであり、そういった勢力と、菅氏などとのコンプレックスとしての民主党が、自民党の生み出すことの出来ない何かを生むのではないか、しかも、社民党国民新党といったまた違った勢力を擁することも、拡がりを生む、そのあたりの調整役として、バインダーのような(謎の)鳩山「友愛」的存在に期待したいものの、まあ、よくわからないものでもある。
あとは、小沢氏はやっぱりよくわからない。でも、なんか、ああいうなぞの人物がいるということも、今のところはちょっと面白い。
金銭問題などは、なんか政策のタイミングと世論を見た動きになるのだろうけれど、まあ、いいや。


私は菅氏、あと、荒井氏なんかがなんとなく好きで、福島さんも最近はきらいではない。ネットなどでは、「市民運動家」が政権の中枢にあるのだから由々しいことになっているらしいが、荒井氏なんかを生んだ、北海道の人間だということが、私の「傾向」には関係があるかもしれない。労働運動などは、あたりまえのことで、功罪はあると思うが、罪を持って功を否定してもらっては困ると思っている。
でも、こういうものが嫌いな人にとっては、全面的に否定したい事のようだ。
そういう人たちの動機の核というものは、何なのだろう。フランス革命の怖い感じがトラウマに? スターリン毛沢東、四人組なんかが問題? ヒトラー社会主義者だったことが? そんなことを知っているのだろうか。そんなことばかり知っているとか・・・。
しかし、そんなことは、もちろん、忘れてはいけないことだ。


もしかしたら、メンタリティに近い話で、友愛的に全人類を包括した救済を是とするか、いろいろな種の集団同士が排除しあうことを不可避としてそれらが乱立する緊張を前提にしか考えるべきではない(なぜなら、それ以外の在り方を探ることがカタストロフを生むから(というのは、仮に書いてみた思考の単なる1パターン))ということか、どちらも極論であるにしても、どういうモデルを好むかは、行動を左右する。
なんてことを考えている私が友愛的なもののほうを好んでいるかというと、そこまで行くとやっぱり気持ち悪いのだが、鳩山氏がヌケヌケとそんなことを語っているのを見て瞠目はするし、平田オリザ氏が原稿を書いたとか聞いたり(最近はこの人を子育て番組で見かける)、「虹色のトロツキー」を読んでいるらしかったり(そんな突っ込まれそうな読書を披瀝するな、という気持ちと、総理と好きな本が同じだという奇妙な体験をすると思わなかった妙な感慨が入り交じっている)、嫌いだとは言えない。面白い。