でたらめ音楽日記110620

朝のクラシック番組でモーツァルト交響曲第25番を聴く。1楽章のみ。
ああ、この曲は交響曲第25番だったんだ、と、思う。
第40番と、近いと言えば近い印象。
彼には短調の曲が少なく、しかし、その数少ない短調の曲の印象が強い、とか、疾走感のある短調の曲であることが小林秀雄のエッセイ(?)で書かれていたな、とか、思う。
そう、だれでも(ウソ)。
40番もそんなに好きではなかったな、最近ちょっといいかもしれないと思い始めているが、39番や、なにより41番の方がずっと好きだ。25番は嫌な音楽に近いと感じたが、しかし鮮烈には違いない。


メンデルスゾーンの「イタリア」交響曲の1、3楽章も聴く。1楽章はしばらく前にも一度聴いて、この曲はメンデルスゾーンだったんだ、と、これもまた鮮烈な印象があった。
この曲の開始、快晴の空が拡がるような印象。
モーツァルトのあとにベートーヴェンがいて、さらにベルリオーズもいた、なんてことを思い出してもしょうがないのかもしれないが、思い出した。
モーツァルトと、疾走感は共通しているかもしれないとも思った。


ペルトの「鏡の中の鏡」という曲も聴いた。これはいい。



夜にはクラシックのコンサートライブ番組。
アイルランドのオケによるダブリンでのコンサート、指揮者は確か旧ソ連の・・・カザフスタン出身の人。
車中だったけれど、どちらかというとしっかり聴けたショスタコーヴィチピアノ協奏曲第2番、これは鮮烈。演奏が素晴らしかったのではないか。などというのは、私の聞く耳には自信がないから。曲も好きだなあ。
ピアニストはアイルランドの人だったようだ。良かったような気がする。指揮者も新進気鋭の人のようだ。


このコンサートの1曲目は初演の曲で、2曲目がショスタコーヴィチの協奏曲。現代音楽ってなんだろうと思う。
最近はときどき耳にする。現代音楽・・・クラシックの。
ショスタコーヴィチがそろそろ古典の仲間入りしそうな気がしてきて、ストラヴィンスキーバルトークもそう。
20世紀も遠くなりにけり、で、現代とはいつのことか。ペルトが新しいのかどうかわからないが、この3人よりは現代らしい気がする。
現代音楽を聴くとほっとすることがある。その対極がたとえばモーツァルトの25番。なんで疾走しなきゃならないの? 疾風怒濤というのかな? なんというか、焦燥ではないか。



深夜、エルヴィス・コステロが聴きたくなった。「Let them all talk」。
いくつかたどって、ダイアナ・クラールという人がいることはわかったが、今日はそこまで。
あ、そうだ、ちょっと前にスティーナ・ノルデンスタムという人がちょっと気になっていたが、そのことはブログに書いたかどうか。

鏡の中の鏡?ペルト作品集(SACD)(Arvo Part:Spiegel im Spiegel)

鏡の中の鏡?ペルト作品集(SACD)(Arvo Part:Spiegel im Spiegel)

パンチ・ザ・クロック

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ザ・ワールド・イズ・セイヴド

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