でたらめ音楽日記120116

あけましておめでとうございます。
とりあえず。


いきなりですが。


ドヴォルザークの代表曲はやはり『チェロ協奏曲』だろうと、散歩、本当に久しぶりの散歩を先日2日続けたのだけれど、その2度目に林の中を歩きながら思った。
その後すぐに、先日ドヴォルザークの代表曲はやはり『スラブ舞曲集』だろうと考えていたばかりだったことを思い出した。
しかしまあ、ドヴォルザークの代表曲は「新世界より」といわれる『交響曲第9番』だろう。
『チェロ協奏曲』の、3楽章でソロが出てきたところのメロディーを弾けないかと、ときどき弾いてみるが、ちゃんと音符を追えない。
『スラブ舞曲集』は、ドヴォルザーク自身も自信を持っていたことが記録に残っているオーケストレーションが輝かしい。


という日々から少し過ぎて、チャイコフスキーが頭の中で鳴り始めた。
しかも『組曲第3番』の1楽章。この独特のメロディーをどう形容すればいいのだろう。
似たようなメロディーがずっと頭の中で鳴っていたことがかつてあったけれど、それと少し違う。似た曲なのか、間違って覚えていただけなのか。
つづいては、『ロココの主題による変奏曲』、で、つまらない曲だと思っていたのだけれど、久しぶりにちょっと聞くと、チェロが出てきた途端になにかほっとした気持ちになって、なんでこの人があまり幸福な生涯を送れなかったのだろうと、余計なお世話のようなことを考えてしまう。


といったところでドヴォルザークより前にさかのぼると、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』が、ますます名曲としての重さを増して私の中で響き始めていた。
クーセヴィツキーの委嘱があったために、なかば創作意欲をなくしていた病床のパルトークが意欲を取り戻したものらしい、けれど、それで、これほどまでにエネルギーに満ちた音楽が生まれたとは、なんと美しく驚くべきエピソードだろうか。そして、作品そのものの輝かしさ!
これがなければ『ピアノ協奏曲第3番』も『ヴィオラ協奏曲』もなく、『弦楽四重奏曲第6番』が最後の曲になっていたのではないかという。この四重奏曲は緩徐楽章が多い独特な・・・「メスト(悲しげに)」という主題が全楽章に現れる沈鬱な曲。それはそれでこの時代に生きた表現者白鳥の歌としてはふさわしくあったものの・・・。
管弦楽のための協奏曲』はすでに20世紀オーケストラ作品の代表曲のひとつと言われてはいるものの、ポピュラリティを獲得しているというのとは少し違う。現代的で難解なそれとしてはたとえばストラヴィンスキーの『春の祭典』のスキャンダルのほうが印象が強く、単に難解な作曲者の代表としてはシェーンベルクシュトックハウゼン、ケージがいる。彼らにとってもはや交響的なフォーマット、楽式が過去のものであったとも思える・・・。20世紀オーケストラ作品の代表曲のひとつという言い方ではメシアンの『トゥーランガリラ交響曲』があり、巨大な全容を音楽史に誇っている・・・。先駆者としてはドビュッシーが・・・。
バルトークはなんなのかということでもあり、『管弦楽のための協奏曲』もまたなんなのか、すでに『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』があって新古典的でありながら清新なスタイルを極めていたことからしても、何か中途半端な印象を受けるものの、しかし何かいつのまにかバルトークを聞きたくなる。『管弦楽のための協奏曲』がラジオから聞こえてくるとうれしくなる。
作曲された年は第2次大戦のさなか、ドイツがロシアに大敗を喫した年だとか。アメリカでは亡命者にこんな作品を委嘱し、華々しく発表されていたのだ。ドヴォルザークの『交響曲第9番』もアメリカで発表されたものだったが・・・。バルトークは大戦終結の年の秋に亡くなっているが、死の床でも作曲を続けていたらしい。ヒトラーの死や、日本での新型爆弾の投下のこと、戦争の終結は彼の耳に入っていたのだろうか。


逆に、今日聴いてあらためていいなあと思ったのは、グリーグ組曲『ホルベアの時代から』第1楽章。
グリーグシベリウスとともに、以前よりは気になってきているが、この小品の冒頭の響きの清新さが特に気に入っている。

ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集(全16曲)

ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集(全16曲)

バルトーク:管弦楽のための協奏曲/弦、打、チェレスタのための音楽

バルトーク:管弦楽のための協奏曲/弦、打、チェレスタのための音楽

グリーグ:ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)

グリーグ:ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)