「もっけ」

もっけ(勿怪) 1 アフタヌーンKC

もっけ(勿怪) 1 アフタヌーンKC

私は超常現象は信じない。
山下達郎の歌を聴いて、自分も「アトムの子」だと思い、折に触れそれを思い出す。宗教を信じるのは、無理だろうな、などと。たとえばクリスチャンの友人と話して、ケンカ別れをしたときなど。
しかし、こんなマンガを読むと、世界と関わっていく時に中途半端な一般的科学認識だけにたよることは、非常に貧しい体験を生きることにしかならないのかもしれない、と思わされる。「蟲師」を読んだ時も似たようなことを感じた。ある人と、社会や人類と、世界との相互の関係はダイナミックで、いままでの科学で把握できる部分(の、しかも私であれば私が今までの体験から把握し得た科学的認識)によって、ある種標本を観察して得られるようなスタティックな思考では、現実から取り残されるばかりなのかも知れない。心理学がなんとか科学的に解決しようとしているようなことも、ある種の超常的な解釈の方が容易に腑に落ちるかもしれない、と、いうと、ちょっと言い過ぎかな。ただ、私に関して言えば、生半可に心理学書などを読みかじるよりも、「もっけ」を読んだ方がクスリになるのは間違いないだろう。
誤解を招きそうな書き方かも知れない。別に「もっけ」に、「良く生きるヒント」とかいうものが書いてあるわけではなく、超常現象に関わってしまう主人公たちは悪戦苦闘している。その特殊な才能を持って見る社会、世界はしかし、案外私たちの見慣れているふつうの生活で、しかも科学の目で見るよりも焦点がはっきりしている。
自分は、「アトムの子」のなかでも出来損ないなのだろうななどとも思っている。また、「アトムの子」ではないひとの豊かさにも敬意を持ちたい、ということは、少しは思っていたのだが、その気持ちをあらたにした。
超常現象は信じない、けれど、軽蔑はもちろんしていない。それが、わかってもらえないのだけれど。


作品のことを書いていないな。しっかりとした筆致で、物語も絵も描かれており、安心して読める。というと平凡なようだな。そんなことはなく、「蟲師」とちがって日常的なスケールなのだが、そのことに才気を感じる。。ただ、表紙には地味な感じが出てしまって、つい、買うのを後回しにしてしまうこともあった。