「アドルフに告ぐ」

アドルフに告ぐ(1) (手塚治虫漫画全集)

アドルフに告ぐ(1) (手塚治虫漫画全集)

「マンガの神様」手塚治虫の晩年の代表作。というのは、私がなんとなくそう思っているだけのことだが。前後する頃に「陽だまりの樹」というさらに長編の作品もあったはずであり、未完の「グリンゴ」「ルードヴィッヒ・V」「ネオ・ファウスト」なんていう作品もあったはずだ。
なぜか私はこのあたりの作品をほぼ読んでおり、私が最も好きだった手塚作品は「陽だまりの樹」だったりもするのだ。リアルタイムより、すこしだけあと、大学の寮で、借りて読んだものが多かったはずだ。


手塚治虫は、マンガの世界の巨匠達の中で、私にとってもやはり特別な存在だ。
巨匠?他に誰かいるだろうか。白土三平水木しげる赤塚不二夫藤子不二雄石森章太郎ちばてつやつげ義春・・・?いや、まだまだ。日本のマンガ文化は、なんと豊かなのだろう。しかし、名前を挙げれば挙げるほど、手塚治虫の存在は特別に思えてくる。つげ義春のマンガに手塚の初版本の話などが確か出てきていた、というような例を挙げるまでもなく・・・。


アドルフに告ぐ」古本屋で見つけた。学生時代以来20年ぶりになってしまうのか、もしかしたら持っているかもしれず、10年ぶりくらいの再読なのか。
第2次世界大戦前後の強烈な現実の核心的な問題を、その後の世界に投げかけた影とともに、具体性と抽象性の双方を極限まで追求して描いた作品。現実の歴史と、フィクションとの境も極めて精妙。しかし、作品全体の印象は不器用な感じがするのはどうしてだろう。人物造型が類型的だというそしりがありえるだろうか。しかし、それは抽象化されてはいても、決して現実の人間からかけはなれない点で、精妙なものでもあると思うのだが。
また、私はこのような誠実な表現にふれながら成長してきたのであるが、現在のマンガやアニメ等を含む表現の世界、さらにそれをとりまくマスコミの世界にあふれる言説が、この「マンガの神様」の作品と、たとえ「ブラックジャック」が、息子さんである手塚真氏によってアニメ化されていたりもしながらも、決定的に断絶している感じを受ける。私自身の中に断絶をかかえているといえる。それは何だろう。


少なくとも、この歴史への光の当て方を、忘れるわけにはいかない。とだけは思った。


ちなみに、私が買って読んだのは1988年の文春版。