「鉄腕バーディー」3

鉄腕バーディー 12 (ヤングサンデーコミックス)

鉄腕バーディー 12 (ヤングサンデーコミックス)

鉄腕バーディー 13 (ヤングサンデーコミックス)

鉄腕バーディー 13 (ヤングサンデーコミックス)

ゆうきまさみの新たな代表作となるのではないか、と思っている。
12、13巻の2巻にわたって22話つづいた「人形の記憶」の章は圧巻だった。12巻のボードに乗った子供の頃のバーディーの表紙を見ただけで、ジーンと来てしまう。13巻の表紙も、読んでいなければ、背景をとばして白地にしたすっきりとしたデザインの表紙、絵も上手いけどよくありそうなシーンだという感じしかしないかもしれない、が、読んだ後ではズーンと。


もっとも好きなゆうき作品は「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」だった。日常生活の描写の瑞々しさには比類がない。現代の日本で普通にあり得る話だ。いい人たちばかりが周囲にいる点ではさすがに恵まれた幸せなひとの物語といえそうでもあるが、そんなことも充分あるのだ。私ですら、育ってきた過去はともかく今の知り合いの多くは充分いい人ばかりになっている。だからといってうまいことばかりいかないのは「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」もそうなのだが。そういうある種のリアリズムを追求した「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」は、日本マンガとしてかなり異端だったのではなかろうか。その「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」と、「SF」作品「鉄腕バーディー」は、違和感なくつながっている。共通点が多々あるように感じる。
が、「鉄腕バーディー」はある意味日本のマンガ作品のスタンダードなのではないかと思う。微妙に忘れかけているが骨肉の栄養分となっている、私たちが見続けてきたマンガ、アニメ。「鉄腕バーディー」とう作品にもそれらのディテールではなく、エッセンスは見事に栄養分として吸収され、作品の骨肉に、しかも見事な形で、なっているというか。


文化状況がめまぐるしく変わっているのか、それでも私などもそこそこ変化に付いていっているのはさすがに変化は突然訪れはしないからなのか、それはたまたま「平和」が続いているからなのか、しかしなにか不連続性が感じられるためか、古いマンガ作品などに深い感銘を受けたりもして、いったいそれはなんだろうと思ったりもし、特にマンガに関しては新しい作品にも大好きなものがたっくさんあるのだけれど、その多くには若干フィクションの箱庭感が否めなくもない。・・・言葉が不適当な感じが残るが。
鉄腕バーディー」は、現代マンガの優れたフィクション、としてのみ片づくわけではなく、過去の作品群、あるいはマンガ、アニメ文化総体との優れた距離の取り方においてきわめてアクチュアルな作品となっているように思える。ゆうき氏がどこまで意図したかはあまり関係なく「「鉄腕」バーディー」というタイトルに、微妙な形で象徴させられなくもないが、マンガ、アニメがかかわってきた文化状況を、時代の変化とともに忘れて、あるいは忘れたふりをして棚上げにせず、しかし、ただ、過去を振り返るわけではなく、きわめて現在的な作品になっているという、優れた重層性を持った・・・何書いてんかわからんが、まあ・・・。
こんなこと書きながら浦沢直樹の「20世紀少年」や「PLUTO」あたりは読んでおかねばならない気がしてきてはいるものの、なぜか食指が全く動かない。というような半端なマンガ読みである私の現在の現在進行ベスト1作品。