「マカロニほうれん荘」

マカロニほうれん荘 (1) (少年チャンピオン・コミックス)

マカロニほうれん荘 (1) (少年チャンピオン・コミックス)

ギャグマンガというのは、こういうものだ」とか思ってしまった。


先日古本屋で94年に出た文庫版のうちの1冊を見つけ、買った。パラパラめくった。読んだ。本棚には最初のチャンピオンコミック版をずっと後で買い直したものと、88年のハードカバー版が、少しずつあった。子どもの頃に買ったものはどこに行ったかわからない。
私の世代の特に男子の多くはこれを読んでいたと思う。私も大好きだった。夢中だった。しかし、今読んでこれほど面白いと思えるとは意外だった。子どもの頃はほとんどすべて、テンションが落ちたといわれていた最後期ぎりぎりまでのものも含め面白かったのだが、今読むとさすがに作品によるばらつきは否めない。
しかし、テンションが持続している頃の作品の完成度には息をのんだ。絶妙なリズム感、アイデアの豊富さ、時代、文化が生々しく息付いている。印刷物として定着しているのに、なんとアドリブ感、ライブ感があるのか、ということにも驚く。絵も実に巧みだな。こんなに上手いとは思っていなかった。
ここまでエロチックだったか。ロックや音楽の趣味をここまでストレートに出していたのか。ある意味反体制。時々現れる戦争映画のようなディテールは細かく、戦時中に使われていた言葉をこのマンガでいくつも覚えたものでもあったが、そういうものが、あったな、世の中に、ごろんと、ざらっと。
PTAには嫌われただろうな。後に「クレヨンしんちゃん」などをわざわざPTAが嫌うとは、低年齢の主人公だからにしても、保守的な世の中になったものだという気がする。
そういやビートルズが来日して10年後くらいだったかな。ビートルズって、現在の日本のプチ保守の若者とは180度逆の、完璧に近い反体制のシンボルと言っても良かったような気さえしてきた。本当に日本は変わった。世界も。
もうほとんど崩壊している「マカロニ2」のなかの一編では、「現実を直視し、軍備に力を入れるべき」というような「真実一郎」と、「平和憲法はどこへ行った」と嘆くきんどーちゃんが、少年漫画雑誌にあるまじき政治談義を延々と続けている。中学生だった私はこれをさすがにかつて愛読し、当時も時折読み返していたスピーディーなギャグと同じように楽しめはしなかったが、逆に読後のショック、重々しい気分をどこかで持ち続け、今にまでつづいているようにも思える。
その後某ルポの目玉になったように、日本のマンガのひとつの頂点を極めた伝説の作家、鴨川つばめは、ほとんど消えてしまった。このようにブレイクダウンしてしまう人間の方が、まともなのかもしれないとさえふと、思った。静かに、心安らかに暮らしていてほしいが・・・。


などなどということはあまり関係なく、「ギャグマンガというものが、かつて世の中にこうして存在していたのだ」とか思ってしまった。つまり、今はもうない。「マカロニほうれん荘」があまりに輝かしすぎたためではなかったか。
(ただし、このあとの歴史に現れる、何らかの形で笑いを生み出そうとするマンガの優れた仕事は、もちろんいっくらでもあるけれど。「ギャグマンガ」は・・・。)