「海街diary」

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

そういえば、長い間、吉田秋生のファンだったのだ。マンガをあまり読まなくなっていた頃も、ずっと新刊で買い続けていた。マンガを病的に集め始め、買うのは新刊よりも古本が多くなっててからも、この人の本はずっと新刊で買ってきた。大学時代に「カリフォルニア物語」を誰かに借りて読み、それ以来目に入った作品は全部読んできた。「夢見る頃を過ぎても」「桜の園」・・・。自然な、といっても簡単にはいかない生き方、感覚を偽らないひとの在り様が鮮やかなのが好きだった。
「カリフォルニア物語」を最近読み返したのだが、こんなに荒い感じの作品だったか、話も絵も上手ではないな、と、意外だった。ただし、いくつかのエピソードの輝きは失われていない。話はちょっと強引だけど・・・。

BANANA FISH」は読み終えるたびに次の巻が待ち遠しかった。「YASHA−夜叉」まではそうだったのが「イブの眠り」でなにか失速を感じた。それでも忠誠心は持っている、たとえつまらなくなってもこの人の本は買うぞ、と、思っているが。作家にとってはそんなの迷惑かも知れないが・・・。

海街diary」(1巻に副題が大きく付いていて「蝉時雨のやむ頃」)は、まぎれもなくこの作家の誠実な最新作。「イブの眠り」に感じた息切れのようなものは感じられない。ただ、ある意味マンガの最前線を進みもし、かつ固定ファンを抱えてきた、王道を歩いてきたマンガのトップランナーのひとりが、後続の多くの新しい感性の持ち主に追い抜かれた感じも否めない。さらにエピソードがちょっと絵に描いた感じがするところなど、ちょっと引っかかる。
しかし、「カリフォルニア物語」と対照的に極めて繊細で隅々まで神経が行き渡っており、並々ならぬ意気込みが感じられる。さらにある意味「桜の園」と同じくらい繊細でもありながら、しなやかで強い。若い頃はひとりで世界に立ち向かっていくような気持ちになる。吉田秋生作品の登場人物達もかつてそうだった。いまもそうだ、が、同時にそれだけではない、登場人物達の複雑な相互理解が共存していて、「ひとり」のみずみずしさを失わないまま豊かな世界の広がりを感じさせる。

表紙を見たときに予感はあったのだが、忠誠心(?)は無駄ではないようだ。