「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」

初代ガンダムのキャラクターデザインから作画まで、アニメーション表現の中心人物であり、さらに単にそれに止まらず、監督富野氏とともに作品世界を作り上げていた重要な存在であったとも思われる安彦良和氏。あの、際立ってしなやかな動画の演技がないことは寂しいものの、その魅力の大部分がマンガにも表れている、氏の入魂の作品。ガンダムファンでこれを読まない者は申し開きをせよ、と、言ってもしょうがないが。

この「THE ORIGIN」では、オリジナルのテレビシリーズの時には制約があって切りつめられた感のあったストーリー、エピソードがきめ細かく描写され直し、またまたさらには、テレビシリーズで全く描かれなかったサイドストーリーが延々と描き続けられた部分もあり、あるところでは世界の拡がりに目を見張り、またストーリーの帰結を予期して涙なくして読めなかったりもする。ガンダムファンで今までこれを読まなかった者は今後読んだ時点で激しく後悔するであろう。「なぜ今まで読まなかったのか」と。大げさか。

それにしても、なんと魅力的なキャラクター造形、演技だろう。比肩するキャラクターデザイナーとしては、とりあえず故手塚治虫氏しか思い浮かばない。宮崎駿大友克洋天野嘉孝など独自の世界を切り開き、それぞれの魅力はあるものの、安彦キャラと比べてしまうとなにか変化に乏しい感じも受ける。さかのぼると故吉田竜夫氏なんていう名前も浮かびはするものの・・・手塚、安彦がやはり頭抜けて豊かな感じがする。


最新号はどうせ表紙で予想が付いてしまうだろうから書くが「ミハル」の話しで1巻だ。
これは「ガンダム」のストーリー中でも、特に、妙に、印象に残るエピソードのひとつだった。アムロが砂漠の酒場でラル達と出会うこと、アムロがマチルダに憧れるところなどと並んで、日常的な穏やかな表現が逆に鮮やかに記憶に残る。富野監督の次作「イデオン」でもこの日常表現が非日常と強烈な対比を見せるのだけれど、「ガンダム」のしなやかさには欠けている。そのあたりが安彦氏のガンダムという作品に与えた影響のおおきなもののひとつかもしれない。
そのようななかでもミハルの話しはカイというひとが中心になること、ふつうのひとが紛れ込んでしまう事のハラハラする感じ、さらに異色でもある。ふつうの感受性が出来ることをと、行動を起こしはじけて消えてしまうどこまでも悲しい、美しい数秒間、そのあとの演出が若干わざとらしくても、それを邪魔にする気持ちにはならない。
たった今亡くなったばかり人をこんなにうまく思い出せるものか、想像できるものかと思いつつも、それまでの、恋とか(帯に書いてあったけどね)いえるようなものではない普通の出会い、立場の違いが逆に互いの心を自然におもいやることにつながった短い交流、それらが極めて自然であることが奇跡のような表現なのかも知れないと、思った。アニメの方も、さらに20年以上たってのリメイクとしてもまた、このマンガ作品も。


いつかは「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」についてこのブログで書こうと思っていて、この「ミハル」の話しはいい機会かな、と思ったのであった。でもうまくは書けなかったな。