「天然コケッコー」2

天然コケッコー (14) (ヤングユーコミックス)

天然コケッコー (14) (ヤングユーコミックス)

このマンガについて最初に書いたのはもう一昨年じゃあないか。1年9ヶ月。読み始めて2年くらい経ったんだろうな。しかも、14巻のうちの4巻に1年9ヶ月かかっている。最初古本で入手していったのだけれど途中からなかなか手に入らなくなっていた。10巻までのほとんどを買ったBookOffは移転してかなりウチの近くになり、ずいぶん大きくなっている。1、2冊は新刊で買ったが、さすがに新刊では見あたらなくなった。ついに札幌のBookOffで最後の2冊を見つけて読んだ。


単なる思春期の恋愛マンガではある。ただ、田舎町の話なので、簡単にファッショナブルなお話夢見る少女マンガにはならないはずの物なのだろうが、都会でクリスタル(死語)よりもある意味かっこいい。情報化社会で自由を手にしたことで実は自分の足下が危うくなっていることを、これを読むと気付く、人が、いるかな。
「田舎だったらこんな風に考えるかな」という感じが自然だ。都会の幼い、若い頃の拙い考え方のイメージとつながっている。少なくとも無縁ではないだろう。都会で合理的に処理出来るはずのことが出来ない。なんでも出来ないのはあたりまえで、なんでも平等な(ただし、お金があれば)わけではなく、あるいは偶然や、なんとなく感じたことの方が重要だ。と、いう、不自由のリアリティ。都会にはないのだ。本当はどちらも不自由なはずなのだが。


最後のほうの記憶以外は薄れたが、筋は良くある「少女マンガの恋愛話」。しかし、空間感、時間の経過の感覚の描写が大変正確なような気がする。同じ作者の作品をいくつか読んだが、これがやはり傑出している気がする。
うっとうしい「シゲ」君と、なにより主人公の父親!この二人の描写はすごい。普通の話ではシゲ君は主人公からすると単にひたすらうっとうしいだけになるはずなのだが、そうじゃないのだ。そのことが美しい。父親はひたすら腹立たしいが・・・こんなものかなあ、というリアリティ。案外見たことがない。いつもいっしょの下級生二人の描写もよかったな。


「恋愛なんて」と、思う。そのうえ結局美男美女の話ではあるし、そうすると筋はつまんないはずなのだが、こんなこともあるだろうし、こんなことも当然だけど悪くはないだろうな、というくらいにはなっている。しかしなんというか、やはり精密な(絵の話じゃない)描写力の勝利なのか、つまりは、生きていることは悪くない、ということが描けてしまっているすごさがあるかもしれない。



あ、そういえば映画化されたんだったか。