「神戸在住」2

神戸在住(10) <完> (アフタヌーンKC)

神戸在住(10) <完> (アフタヌーンKC)

この漫画について書いたのが3年前だったことに、驚いた。
あのころは、色々な意味で自分に自信があった・・・その当時でも自分に自信がないと思っていたが、なんの・・・今はない。能力は色々な意味で衰えた。
しかしそんな事を憂うことが、そもそもモラトリアム的な発想なのだろう。「実社会」で、悪戦苦闘する人は自分の衰えを感じても口には出せないだろう。出してるか。出している人はきっと甘えん坊さんなのだ。41歳のモラトリアム!
それはともかくモラトリアムで「体験学習」することは、実体験の生々しさを閑却することだ。学校は、そんな場所になる恐れがあるが。



一体何を書いているのか・・・。
神戸在住」、ある意味美しいモラトリアムの話しとして完結した。「体験学習」のゆとりと実体験の生々しさの両立?

私は北海道の美術学生だったのだ。このマンガの主人公も美術学生だが。
私はしばらくふらふらして実家に戻り、自営を気取っていて行き詰まり、41にして地元のタウン誌の仕事にありついてようやくモラトリアムから脱出できるかも知れない。
このマンガの主人公もミニコミ誌の現場に就職する。30から地元でバタバタした体験と同質のものが、大学卒業した時点でこの主人公にあることに、驚愕の荒野。いやびっくりしているのが変なだけでこんなひとはけっこういるのだろうけれど。でも、こんなまとまった形で自分を語ったりするひとがいないだけで・・・語ってくれてありがとう、おいらは汚れちまった悲しみを抱いて生きるさ。
ああ・・・そんな最低の符合はどうでもいい・・・。

この国では若い世代はモラトリアムで生きるしかない。
でも、完全なモラトリアムはない。
このマンガの主人公も、「まともな」誰も彼も一度もモラトリアム的な感じを持たずふつうの経験を生きているだけなのかもしれない、と言う事を考えると自分が「おたくかな」とか、今もなお考えている(「かな」というところが問題で、おたくだと開き直る人がモラトリアムではないのか? か?)どこまでもモラトリアムな人間である私は「まともではない」としか思えないが、まあいいや。

大変ぐずぐずで、もしこれを読まれた方、わけがわかるまい。すまねぇこった。酒も飲んでいる。