「宗祖ゾロアスター」

宗祖ゾロアスター (ちくま新書)

宗祖ゾロアスター (ちくま新書)

10年前の本だ。買ったのもその頃だろうか。読了したのは初めてだと思う。
当時から世界を知りたいという欲求が生じ、アフリカのことを何も知らない自分を訝しく思い、そのあたりに関係している本を新書で買って読もうとしていた気がする。
宗教というものに関してもよく知らない。
世界で最も広まってしまったキリスト教については、なぜか子どもの頃旧約聖書の最初の方を熱中して読んだ記憶があるものの、神話のような面白い読み物として読んだだけであった。先日色川武大の「私の旧約聖書」を読み、この聖典・・・ユダヤ教のものだととらえたほうがいいのか、キリスト教の神もこれに準拠しているのか・・・の内容がおそろしく強迫的、脅迫的で、こんなものを心の頼りにしているひとが世界中にいるのだということがそら恐ろしくも感じられたが、新約の世界もあわせて読むと違うかも知れない。
イスラム教とキリスト教がどれほど違うのだろうと、東洋のはずれの物質主義社会に育った私などは思うほかなく、宗教などは必要悪のようなものだろうと思ってさえいたが、とにかくこのような教えをたよりにして、人類の多くは生きてきて、今もそうして社会を維持しているのだ。そういうようなものをたよりにして、やっと生きていけるような辛いものが人生というものであるのかもしれないとさえ、年をとって心身のおとろえを生じて思い始め、さして幸せとも思ってこなかった私の半生さえも世界のなかでさほど不幸なほうではないということにも気付き、現状でこの宗教というものを取り去ろうと考えることは、国境を無いものと考えることとほとんど変わらない絵空事であることにも気付く。
宗教は国家と同様に実際にあり、それがないということを考えもつかないような人がほとんどの世界に、自分も生きているのだ。それがいいとか悪いとか、考えるまでもなくそれを自明のこととして生きている人が多いのだ。・・・と、考えることもまた現在の物質主義、科学万能主義世界では全く現実的ではないだろうとはいえ。

などという大げさな思考はともかく、そんなよりどころを持たない東洋の無神論者(?)が宗教、ひいては人間というものを考える時、キリスト教や、さらに後にはイスラム教とも関連が浅いとは言えないかもしれない、この、謎の宗教、拝火教といわれるものだとおぼろげに聞いたことがあるだけだったようなこの「ゾロアスター教」というものが妙に気になったものでもあり、こんな本を手にとって買ってしまったものでもあるようだ。
このアヤシイだけのような、あやふやなことばかりのようなこの宗教に関する記述を、買った当時の私は読み進めることができなかったが、今になって読むとなかなか興味深い。それは生きることの危機に自覚的になったからでもあり、人生が以前より不可解に思えてきたからであり、そうしたときに超越的な思考というものが逆に現実味を帯びてきたからでもある。
と、いうようなことは実はこの本の内容に関係がないわけではなく、また、この本に書かれている内容の大部分が、西洋の、ギリシャの哲人(プラトンも言及している!)にも若干でも影響を与え、ある場合にはこともあろうにキリスト教徒が取り付かれたようにこの謎の宗教の正体を追い求めたというような歴史の記録に費やされていること、そんな本質から外れた枝葉と感じられるようなことに、実は深い意味があると感じられたからこそ面白く読み進められたものでもあった。結局この宗教を客観的に知るよすがは西洋の研究者によって得られた知識によるほか無いようなのだ。
キリスト教新約聖書のエピソードの中に、どうも異教徒らしい「東方の三博士」とやらがキリストの生誕を祝いに来るだかのエピソードがあり、キリスト教の異教を嫌う部分と矛盾するような違和感の強いものであったのだが、それはどうやらゾロアスターの信者というか司祭というかそういうもののようであって、どうしてもそんなところにまで顔を出してしまうくらいに、西洋と東洋の境ではインパクトのある知的存在感を示していたもののようだ。
そして、最近にわかにイスラム教がどうやらキリスト教と同根であるらしいことが、外からの目で見て感じられるようになってきたものの、さらにそれらと一線を画しつつも、関連性を持ち、あるいは西洋の啓蒙時代などには、キリスト教者からも、反キリスト的な立場からも関心を持たれ続け、その成果が現在のゾロアスター研究にとっても意味を持ち、ヴォルテールニーチェを例に挙げられるように、現代に近づいてさらに存在感を増してもいたという、西洋思想の近代に、大きな影響を及ぼしてもいたらしいというあたりになると、ゾロアスターそのもののみならず、西洋思想というものの、なんともおどろおどろしく複雑な歴史を伺うよすがにすらなった。

私たちが西洋だと思っていたものの源流にはふつう、ギリシャ、ローマの文化、思想などと言うものをたどることができるだろう、そのときにラテン語などというなんだかよくわからないことばが出てくるのが訝しかったりもしたものだが、そこにエジプトがうっすらとからんでくることくらいは想像できなくもなかったし、イスラム帝国の版図が拡がっていた時代があったことくらい少しは知っているものの、ペルシャ、イラン、インドと言った地域とのからみはより古い時代に無視しようが無く存在していたようであり、そんな混沌としたものを無視してきたわけではない西洋というものまではほとんど考えたことがなかった。さらにその関心の対象となりうる中東、インドというものは単にあやしげなイメージがあっただけだったが、そこで生まれていたことを無視できないことに気付く。さらにゾロアスターの仏教への影響!? 一瞬中国がえらく単純でわかりやすいものに思え、さらにいえば日本の文化というもののさっぱりあっさりとした感じの方が世界でいかにも珍しいものなのかとすら思えてきたものの、それ以上に人類史上でも最も即物的なのが現代だと言うことが、はたして現代に生きるものにとって幸運なことかどうか、と、訝しく思えてきたが・・・。

近代、現代を席巻してきたのはそういう中東を中心として生まれた歴史の古い文化ではなく、スペイン、イギリスを中心とした歴史の浅い、かつては蛮族であった・・・北欧に海賊、ヴァイキングといったイメージが強いがイギリスもどうやら海賊と言ってもいい民族から発展した文化で(ドイツも海賊ではない(?)ものの田舎だったのではないか)あることも逆に思いおこされてきたが、しかしそれこそゾロアスターから遠い話題のようだ。
日本人の一部も一時海賊として知られていたことも思い出したが・・・。

著者の方はかつて王国だった時代にアフガニスタンへ出掛け、そのあたりが研究の端緒になっていたらしく、その後のその国の推移に関して若干しかふれられていないが・・・1997年の本だ。今もご存命で、あの仏像爆破や、その後のテロの闘いを見守られたことと思うが、どのような感慨を持たれたことか・・・。

混乱した内容、最後まで読まれた方、お詫びいたします。