ビクトル・ハラ「平和に生きる権利」

人間であることの歌(ベスト15)

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plays standards

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ビクトル・ハラは、南米、チリのひとだったか。35年前に、ピノチェト独裁政権に殺されたらしい。詩人と言うべきか、歌手と言うべきか。「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)」運動Nueva cancionの旗手(Wikipediaから)として知られているらしい。
35年前というと、えらい昔のことのようだ、が、私はすでに生まれていた。65年にフォルクローレシンガー・ソングライターとして活動を始めたという。私の生まれる1年前だ。(1932年9月23日 - 1973年9月16日)(Wikipediaから)ということで、41歳を前にして亡くなっている。私は彼の年齢を越えたのだ。

とか、書いているが、ほとんどこのひとのことを知らない。
音楽は、大友良英グラウンド・ゼロのスタンダードアルパムのなかで「平和に生きる権利」という曲を聴いただけ。その前に、高橋悠治の著作の中で名前を知っていたのと、南米の抵抗の歌に関する本の中でエピソードは読んでいたと思うが。
グラウンド・ゼロの「平和に生きる権利」はインストゥルメンタルで、ロック的な強力なリズムに乗ってサックスで演奏される。力強いメロディー。歌詞は一度くらいはどこかで読んだかも知れないが忘れた。
日本にフォークがあったけれど、こういう歌というもの、結局命をかけることになった運動、全くちがった世界のように感じる。日本にも学生運動があり、命を失った人もいたが。
音楽とは何か。
クラシック音楽が優れていることはわかるが、しかし、こういう歌の美しさは何だろう。

このような鮮烈なことについて知ったのは、いつだったか。私の人生に少しは影響を与えているだろうか。私はこんなことをしていていいのか、とふと思うものの身動きは取れないし、そもそも私の敵はなんなのだろう・・・41にもなって何をわけのわからないことを考えているのか。
それにしても彼が死んだのは私が7歳になる直前。小学校の近くに「公害を垂れ流す」巨大開発への反対の看板があったのを思い出したが、それを見たのはいつ頃だったか。35年間で、世界はどう変わったのか。
少なくともアフリカは当時よりひどいことになっているはずだが。

いつか彼の歌を聴くことがあるだろうか。