「ロシア・アバンギャルド」

この本の著者の亀山郁夫さんが先程テレビに出ていて、急に面白かったこの岩波新書(新赤版)「ロシア・アバンギャルド」のことを思い出した。が、その本はどこに行ったか見つからない。
そして、
亀山氏は「カラマーゾフの兄弟」の新訳を出し、ずいぶん売れているという。ロシア文学の研究者というイメージであり、しかも、「アバンギャルド」について書いていた人がドストエフスキーとは意外だとは思ったが、しかし、私はトルストイツルゲーネフも全く読んでおらず、ドストエフスキーの短編が全く面白くも何ともなかったような、しかもあいまいな記憶があるだけだ。ロシアの文学で読んだのは、ストロガツキー兄弟くらいか。「ストーカー」「そろそろ登れカタツムリ」・・・面白かった! しかしこれはすでに「ロシア・アバンギャルド」などよりずっと後に書かれたもの、とはいえソ連時代か。

新書「ロシア・アバンギャルド」が、すごく面白かったのは覚えている。マヤコフスキーという名前があったか、「ザウミ」とかいう言語実験について書かれていたか。美術にも言及が確かあり、タトリンやマレーヴィチのこともあったはずだが、具象的な画家・・・なんていったかな。そのひとについて書かれていたことが興味深かったような気がする。あとは、演劇。音楽については、どうだったか。プロコフィエフショスタコーヴィチ、あとはハチャトゥリアンが結局ロシア国内で活動を続けたようだったか。確かプロコフィエフは一度亡命して戻ったのだったか。ストラヴィンスキーは亡命して帰らずに活躍したはずだ。
有名なのはショスタコーヴィチ交響曲第5番ソ連時代を代表するオーケストラ作品のひとつでさえある、あのショスタコーヴィチさえ粛正される寸前だったはずだとか・・・。しかしそれについては岩波新書だけれど作曲家の諸井誠氏が書いた「音楽の現代史」(黄版)という本で最近読んだような気もする。こちらの本は出てきた。ショスタコーヴィチが「批判」を受けたときに、頼ろうとした「元帥」が、処刑されたという・・・。それどころか、スターリンによって(?)処刑された人は100万人、収容所で死んだ人は200万人!・・・。戦争ではないのだ。東京大空襲での死者は10万人。広島での原爆による死者は26万人。長崎は7万5千人。太平洋戦争での日本人の死者は日本210万人(軍人170万人・市民38万人)だという。それより多い・・・。
閑話休題

「ロシア・アバンギャルド」の興味深い点は、芸術家が新しい社会の構築に意欲を燃やし、それにふさわしい芸術理論や作品を目指したこと、それが独特な創造性を持っていたこと、そして、その先鋭的で主導的であったものも、作家たちが熱烈に支持したはずの政治体制から排除されていったこと・・・文学運動や演劇でその悲劇性が顕著だったような気もする。
抽象的美術表現も結局は疎んじられたような気がするが、うろ覚えだ。マレーヴィチの「シュプレマティズム」の絵画はある種観念的でありながらある意味で造形性をぎりぎりで残しており、最も突き詰められた抽象作品として絵画史上に記憶されている。しかし、カンディンスキーなどとくらべても様式の発展が唐突だ。観念性の強さと関連していると考えられるが、後の抽象表現主義を予期させる精神性でも先駆している部分があるかも知れない。とはいえ、観念的であることは必ずしも精神的な深みと一致せず、マレーヴィチや「ロシア・アバンギャルド」全般に若干そういう傾向が認められながら、またしかし美術史や文学史においてその存在感が屹立しているということも紛れもない事実なのではないか、と、とこれまたうろ覚えの亀山郁夫の著書の印象から考えてしまう。精神性の深さでいえば後のマーク・ロスコやストロガツキー兄弟のほうだろうと思えるにしても・・・目の覚めるような爆発的な創造力。

それにしても、これらの狂(凶)騒からまだ100年経っていないではないか。その後のほうの40年ほどを生きてきたが、その間に人間というものへの理解、イメージは、弛緩、油断しているかもしれない。違う形で人をずいぶん殺し続けているのに。

岩波書店の本はアマゾンにはない?