バッハ「ゴールドベルク変奏曲」

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)

鍵盤楽器史上に燦然と輝く名曲。
比肩するものはモーツァルトベートーヴェンにすらあるだろうか。
などと書いている私は、自分の書いている意味がわかっているのだろうか。
ブラームスの間奏曲集や、ドビュッシーラヴェル、サティのピアノ曲が大好きだ。モーツァルトピアノソナタにもけっこう好きなものがある。しかし、どうだ。バッハと比べていいのか。ベートーヴェンは私はどうもダメだ。
うん、少なくともバッハに比肩するものはバッハ以外にないかも知れない。
ゴールドベルク変奏曲」に比肩するもの、「フーガの技法」、「平均率」・・・。メシアンはどうだろう。「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」・・・ドビュッシーの「前奏曲集」・・・。
一体何を書いているのか。ピアノ曲はあまり知らないし。

西洋の彫刻史では、ミケランジェロに比肩する存在は、私にはプラクシテレス以外に思いつかないが、はたしてプラクシテレスの作品は、ヘルメス以外は知らない。少なくとも古典的彫刻で、ミケランジェロと比べることができるのは・・・。
ロダン? 笑わせる。あの「考える人」が? ロダンといえば良くない恋愛をした人ではないか。才能のあるあの弟子の女性は、なんという名前だったか。と、いうのはこの際関係がない。ロダンで面白いのは私にとっては「カレーの市民」と、「バルザック像」くらいなのだが、面白いのがそれくらいだというだけの話しだ。いい彫刻は弟子のほうに多いだろう。特にデスピオー。ブールデルはわざとらしいし、マイヨールは造形的に甘いが、ロダンよりはまし。しかしとてもミケランジェロには及ばない。最も優秀なロダンの弟子は、弟子といって良ければブランクーシ。が、抽象彫刻だ。マリーニもいいが。
音楽よりは彫刻は西洋の外のものと比べやすく、日本の奈良時代の彫刻にミケランジェロに比べられるものがあると、私は思っている。

絵画は多様で、音楽よりもっと比べにくい。私のあこがれはずっとセザンヌマチス、クレーだった。が、すごいのはダヴィンチもそうだし、長谷川等伯も伊藤若中も・・・フェルメール、ベラスケス・・・ゴッホ・・・ベラスケス? なぜこんな名前が。
・・・一体何を書いている。

いきなり「ゴールドベルク変奏曲」に戻ると現代ピアノ演奏史上に存在感が大きい、グレン・グールドの録音が思い出される。
生演奏では高橋悠治のものを札幌のPMFで聴いた。途中で笙の演奏がはさまれた変則的なものだったが、そのことの良し悪しはわからなかった。グールドの演奏が流麗なものに思えるような、淡々とした演奏だったような気がしたが。
ゴールドベルク変奏曲」は、変奏の妙味より何より私にとっては冒頭と最後の「アリア」の美しさ。今の私にはグールドのものは音の粒が揃いすぎ、美しすぎる。もっと無骨な演奏でかえって魅力が浮かび上がる気がするが。私はグールドのピアノとレオンハルトチェンバロのものしか持っていないし、なんとなくピアノで聴きたかった。で、グールドの新しい方の演奏で聴いて、そのアリアが頭にこびりついて離れなくなった。
そして、今回変奏のなかで気になったのは最後の「クオドリベット」。カルテット用の楽譜があって、マンドリンの合奏仲間で時々弾いていた。もともと4声なのだろう。素朴な曲のようでもある。
その簡素な「クオドリベット」が終わってアリアに戻った時、すごいと思った。なんだこの対比の意味は。そしてそれでどうして感動するのか。
・・・一体何を書いている。