不幸や絶望のコレクター

クローサー【コレクターズ・エディション】

クローサー【コレクターズ・エディション】

ジョイ・ディヴィジョンという(今はない)バンドが、「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」という曲、一曲で私にとって忘れられない存在になっている。なんというタイトル、「愛は私たちをばらばらにするだろう」(翻訳サイトで訳した)。もちろんこのフレーズのみならず、音楽が絶望をよく表現している。作者のエピソードの方がより深い絶望を感じさせてしまうけれど、書かないでおこう。バンド名は、ナチの収容所内の一角にあった、慰安婦を生かしていた性的施設の名に由来するという。
(上記アルバムには「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」は入っていないと思うが、同じ頃の作品らしい)
一昨日(といっても日付けは昨日だが)「クルーエル・トゥ・ビー・カインド」という曲について書いたけれど、「親切で、残酷」とかいうことらしく、絶望の度合いは全くちがうものの、何か似たような事のような気がする・・・が・・・絶望の度合いは・・・違い過ぎる・・・。
以前PANTA(日本の人の、芸名)というひとの「クリスタル・ナハト」というアルバム(LPレコードだった)を買ったが、ナチスユダヤ人弾圧の象徴的な事件に由来している。
本棚にはフランクルの、「夜と霧」がある。著者は精神医学者(確か「実存分析」で知られる人だったか)だが、この本はドイツの強制収容所での体験、及び様々な実態をまとめたものだ。途中までしか読んでいなかったと思うが。この人の「死と愛」という本・・・こちらは心理学の本・・・もいっしょに並んでいる。
さきほどテレビを付けるとロシア文学者(?)で東京外国語大学の学長さんだったというのははじめて知ったが亀山郁夫氏が、ドストエフスキーの「悪霊」に寄せて話していた。あさま山荘事件にも言及しているし、03年9.11の同時多発テロと、その報道、映像等に関して「神の視点」ということで話していた。
今、中公新書の「荘子」を読んでいるのだけれど、荘子の思弁そのものと同時に中国の戦国時代の凄惨な状況、権力がおかしな状況を生むこと、などの描写に多くページが割かれている。

歴史上のことに関心を持つのは自分の合理的な思考で割り切れないことだからだろう。
あまりの不合理、不条理・・・合理的な思考、精神が多くの物事を解決していいはずなのに、そうはならない。
日本という世界でも理想に近付いた国に住み、それを何か優れた民族のちからによるものとばかり考えたがる事は、間違いだ。理性の生んだものであり、非理性と、環境との偶然の出合いで生まれたものでもある。また、我々の幸福がしいたげられている人たちの不幸の裏返しの要素を持っていないということはできない。それを意識すまいとする事はより根源的な不幸につながっている。

上に挙げた事のなかで、「クルーエル・トゥ・ビー・カインド」が異質だが、「夜と霧」が、「死と愛」と、並んでいる事とも似ている。こんな幸福な日本は自殺率が極めて高い(文化的なものとの関連が指摘されているが、そうだろうか)。
厳しい生活を余儀無くされている人がともすれば「自己責任」とされるが、過労死と両方を同時に扱う事で解決できるはずのことでもある。もちろん実際上そのように単純化できるものではないのだが、政治とはそういうことをなんとかするためのものでもあるだろう。

地球の反対で起こっている悲惨な事、今までに人類が起こしてきた無益にしか思えない残虐さ、様々な犯罪、制度の陥穽、それらは私たち(の幸福)と無縁ではない。