「ヴィンランド・サガ」2

ヴィンランド・サガ(6) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(6) (アフタヌーンKC)

ろくな事は書けないのだろうが、いちおう書いておく。


私はいちおう左翼的な環境で成長してきたと言えるだろう。
そこそこ貧しい人が多い町の、そこそこ貧しい家に生まれ、育った。
この国にももっと貧しい人ばかりが集まるような町があるだろう(「ピアノの森」の「森の端」とか、「ぼくんち」の町のような?)、それほどではないが。
私の町の平均的な労働者は、ウェブログを読んだり書いたりしないだろう。

奨学金をもらい大学に行き、貧しいために学寮に入り、そこには「自治」が行われていた。少なくとも建前上は。というだけで左翼的なイデオロギーがあったと決めつけるわけには行かないが、左翼のボキャブラリーがつかわれていたと思う事と、右翼的な発想が想定外だった事は確かだ。
で、そこを卒業して教員になった。一部で日本の敵として名高い(?)教職員組合員になった。私は労働運動は、本当は好きなのだ、今でも。現実の労働運動が欺瞞の積み重ねだとしても、権力と拮抗する集団というものに何か夢を見てしまう。私の職場の組合は楽しかった。組合費は高いと思うが。

教員を6年で辞めたあと、無能だったり少し有能だったりする印刷・デザイン・出版関係の技術者、最近は若干編集者としても中途半端にマルチでいまひとつ使い物にならない労働者だったり自営というか、ほぼ「フリーター」だったりしてきたのだが、その間は基本的にそういった集団とは一切コミットしなかった。
その教員後の生活においては左翼的な感覚でばかり考えてはいけないと思ってきたのだが。
「戦争は悪」とかいうような言葉を簡単に口にする事はなかったのだが。
まだまだ私は戦後民主主義なり、左翼的反戦イメージなり、ヒューマニズムなりにどっぷりつかった人間でしかなかったのかもしれない。



ヴィンランド・サガ」は、ちょっとしたショックだった。そういえば、(同じ幸村誠の)「プラネテス」でも、テロが行われる場面があったり、行政側(?)の個人の手前勝手な論理(?)に肯定的な(?)部分もあったが。

戦ってきたのだ、人間は。

日本人が親しんできた殺りくの最も典型的なイメージというのはおそらく中国の「三国志」だ。
日本国内の戦闘や政策については、あるいは欧米の記述などとくらべても穏健でヒューマニズム的な(?)表現が馴染む闘いが多いだろう。それはある意味「甘っちょろい」ようでもある。豊臣秀吉朝鮮半島で何をしたかで、何かイメージが変わるかも知れないものの・・・もしかしたら戦後の文化がもたらしたものかも知れないが、イメージ上は、「なんと優しい国だったのか」、と思えなくもない。ある程度は優しい国であり得る何かがこの国にあったようでもある。
そして、そんなことと、より直近の大東亜戦争での残虐なイメージとのギャップに苛立ち、そんなイメージがほんとうなわけがない、というのが最近のネット右翼の実際の無意識なメンタリティだとは思うのだが・・・それは裏返ってナチスと同じような事になる可能性を・・・話がそれた。
ともあれ、三国志などで人間の残酷さにも親しんできていたつもりだったのだが。

そんな私の、あるいは今のネトウヨの人たちの甘っちょろいヒューマニズムと、現実の歴史は、あまり関係ない。
日本の多くの歴史記述は、あまりにもその民主的な「本来の人間」像(そんなものは現実に存在しないのだが)的な解釈にまみれている様に思える。

そんなことを思い知る事になった。
最初からそうだったのだが、4巻で罪のない村びとたちがアシェラッドたちに皆殺しにされ、生き残った娘が感じたことに、特に言い様のない感慨を抱いた。生きるという事は、何か私たちが日頃感じているものとは違う。

そのくらいにしか書けないのだが。



その最新刊(ネタバレだ)、クヌートの苦悩の氷解、絶望そのものが救いだ。
しかし、それでもやはり、戦いに、生に意味があるのか、ということにならないか。このトルケルとアシェラッドの(そしてトルフィンの)新たな主人(?)とは、その軍とはいったい何だ。その相手とは。そういう契機をはらむ歴史とは。
とはいえ、読み手である私も彼等とともに戦うような気持ちになるだろう。