アマチュア音楽

わが町にマンドリン合奏団があり、私もちょっとの間参加していた・・・しようとしていたのだけれど、すぐに仕事が忙しくなって行けなくなっていた。それから何年経っただろう。
その頃は「演奏会」というかたちのものは開催していなかったが、3年前からギター、フルートのいくつかの団体と共催で演奏会をしている。その時から、毎年聴きに行っている。

この規模の、地方都市で、よく続いてきた。続いている・・・などと、一種の裏切り者(私は大きな都市に行ってマンドリン合奏をしている)が書く事を・・・許されるだろうか。
今年から大きな都市からの賛助メンバーが入り、前日にその事を聞いた時はちょっと嫌な感じがした。が、実際に演奏を聞いてみると、合奏全体をリードできるような人たちも控えめに支えているようで、ちょっと安心した。でも、演奏に安定感が出たという事には、いいことなのだけれど、ちょっと複雑な気持ちもある。
とか、勝手に書いてしまう事にもまた後ろめたさはある。
これは、文化って、特に地方の文化ってなんだろう、ということと少し関係があって、この町で美術作品を発表しているためにそのことを少し意識していることとも、少し関係があるが、さらに私にある種の裏切り者のような意識があることでもやもやとすることになる。

とにかく、私は聴きに行く事にしていて、毎回行っている。


今回はギターだけのアンサンブルから始まった。
マンドリン合奏のための曲で有名なドイツの作曲家が編曲したモーツァルトの作品。
今まで音楽が鳴っていなかった場所に、最初に響く楽器の音というものは、何か夢のようなものに感じられる。たぶん長調の協和音から始まった。
ギター教室の、先生と生徒さんたちの演奏で、「表現力がある」という感じではないけれど、もしかしたらそのせいで逆に、楽器の音がなるだけで感じられる幸福感みたいなものが広がった。調弦と、指のタッチ、あと楽器のコンディションにも気を使っているようだ。夢のような感じは長く続かないものの、また「飽きさせない」ような工夫が行き届いた演奏ではないものの、楽器の音が響く幸福感がなくなることはなかった。

そんな音楽の楽しみ方に共感した事は、今までなかった。たぶん、去年よりもその「音の響く美しさ」が、増しているために、そんな事を思ったのだろう。

次の、フルートのグループにも、同じような感じを受けた。やはり、たぶん、去年よりいい。


後半はマンドリン合奏団と、そのギター合奏団と、あと、フルート奏者の(上記と違う)グループの合同合奏のステージだった。
指揮者がいて、しかし混成で、おそらくみんなが集まったリハーサルはかなり少ないと思われることもあり、音色の美しさなどは、ギターやフルートの教室の演奏にくらべてあまり感じられない。ただ、色彩感、あと、合奏の表現力は豊かになっている。
マンドリン合奏団体としては、大都市の団体と違っていわゆる「編曲もの」が、多い。ふつうのマンドリン団体のメインのレパートリーである、マンドリン合奏のために書かれた曲は1曲のみ。ほかは、聴衆が「どこかで聴いた事がある」さらに、聴いた事がなくても親しみやすいメロディーで、惹き付けられやすいものばかり。クラシックの曲ではエルガーの「愛の挨拶」、フォーレの「シシリエンヌ」、ウォルフ=フェラーリの「マドンナの宝石」からの曲。あと、「バッハの」「アヴェ・マリア」と、あるけれど・・・。
このような演奏は時に批難される。「オリジナルの編成の何分の一も美しくない」などなど。
しかし、何か音楽の本質が垣間見える気がする。「好きなメロディーがあって、弾いてみたい」そうでなくても、「そういえば、この曲知っている・・・けっこういいかもしれない」ちょっと上手くて音楽通の奏者なんかでもしかしたら「ちょっとこの曲は好きじゃないんだけどな」と思っているメンバーもいたりして、なにかそんな偶然と、しかしそれを選ぶ意志と、あと、観客と・・・そんなことが科学変化を起こす。ある意味、プロにも同じような部分もあるのだろうけれど、それがもっとむき出しになっているような。
何か少し不安が混じったような。


あと、アマチュアの良さに、プロフェッショナルに近い技術を加えたようなトリオの演奏もあったのだが、とりあえず、それについては無心に楽しんだとだけ書いておこう。


と、書くと全体ほめ過ぎのような気もするが、なんかそんなような時間、空間が地方都市にひととき出現していた。