彫刻

3カ月ぶりに作品を作っている。

私の専門は彫刻だ。仕事ではない。
食べるためには印刷物の編集だかデザイナーだかなんだかわからない仕事をしているが、専門は彫刻だと思っている。あまりやるひともいないから、誰かがやった方がいいだろう。

いわゆる普通の人間のかたちを作ったものはめったに作らないが、ここ数年は、作る作品の半分以上は粘土でまず作って、石膏で型取りをして他の材料で出来上がるということにする。その点ではそこそこ普通のようだが、出来上がったものはさほど普通ではない。石膏取りのあとは一般的に有名なものなどはブロンズというものになるのであって、そこまで有名ではないものは、たいてい「ポリ」と呼ばれるプラスチック素材になって着色される。最終素材も石膏にするひともいて、水彩のように着色するのが良く似合うような作品にする人もいて、うまくいくとなかなか良いものでもある。私はセメント(普通のグレーの場合と、白セメントの場合がある)か、ちょっとわけのわからない素材にする。そのちょっとわけのわからないものについては面倒なので書かない。
どんなものかというのは、最近は北海道ではイサム・ノグチという人が知られているので、私の作品を見た事がない人には「抽象で、あの、イサム・ノグチっているでしょ、あんなものだといえばあんな感じの・・・」と、言うが、そういう話をしているそばから嫌な気分になる。その話す相手が嫌と言うのではなく、自分が嫌になってくる。そんな、人に上手く説明できない事をしているんだ、自分は。何か犯罪者のようだ。「イサム・ノグチ」みたいだと言って、正しければそれは真似っこであって、正しくなければ嘘つきだ。ああ、嫌だ。

だいたい彫刻と言うが、粘土でやるのは彫刻ではなく彫塑じゃないかと言うこともあり、そんなのは理屈であって、彫刻って呼ぶのでいいのだ、と言うのも、どちらも正しい。彫刻というのはスカルプチュアであって、削って、掘り出していくものだ。彫塑はアチラの言葉でなんというのだろう。
で、やっぱり粘土で作るよりも削って行く方が正統で、偉い感じがして、そんなわけはない、というひとのほうが世の中には多いのだろうし、そう言われると、そうですね、と、私も言うのだが、やっぱり彫る方が偉い気がする。なぜなら彫るのはミケランジェロであって、円空であって、それはもう惚れ惚れとするような気持ちが湧いて来るのにたいして、粘土をこねるのはロダンだったり、やっぱりちょっと嫌なやつの感じがする。ロダンが好きな人には申し訳ないけれど。しかし、そんなのは実はこじつけだ。
さらに、現代になってからは鉄を溶接したりして作るのがなぜか粘土よりも彫刻らしい感じがしてくる。これもやはりそんなに削ったりするわけではないのだけれど。私もそんなものも好きで、やってみたいと思うものの、またほかにセメントとか建材とかで大工仕事のように作ってみたいと思っていて、思っているだけでそんなことはあまりできていないというのが実際のところだ。
彫刻というのは立体造型とイコールではない。上記のようなこだわりのコンプレックスのなれのはてが彫刻であって、現代芸術でもあり、立体造型でもあるけれど、彫刻は彫刻だ。

そして、その彫刻の中でも、そんなふうに粘土で作るのをどちらかというとバカにしたりしているのだけれど、私が実際に作品を作る時には日和っていると思いながらも大半は粘土で作って型取りをしてしまう。軟弱者だ。自分でも軟弱者だと思うのだが、それとは別に実は粘土というものは大好きで、水分があって、手で押すとその通りに凹むというのはすばらしい。
今ひさしぶりに作っているのも粘土で、しかし、そのすばらしい手応えを楽しんだりしないで、だらだらと惰性で作っている。そんな絵の具で描く油絵のタッチやマチエルがすばらしいような官能的な作品を作るのではなくて、何かかたちの幻影のようなものを物体にするのに粘土しか思い付かないのだ。
作っていくうちにその幻影らしさも失われず、物体としてもたしかになってきて、思いのほか上手く行っているような気がしてきたが、それは自分に酔っているだけなのかも知れない。そうだとすれば、どこかの段階で恥ずかしい思いをするだろう。
そんなことを考えながらも粘土のタッチやマチエルが嫌な感じにならないようには気を付けていて、そこにはすこしは官能的なところもあるかもしれない。そういえば、昔はふつうに、ジャコモ・マンズーなんかも好きだった。レリーフも好きで、粘土に引っ掻き傷のようなもので描画した線が完成したものにも残っていて、そのあいだになめらかに肉付けしてあったりして、それは鮮やかな手並みのものだ。そのうちマリーニとか、ムアとかもすごいとか、ロッソがなんだか印象的だとか、アルプとかヘップワースとか、そしてブランクーシやノグチに至るというようなことになるのだけれど、中学生時代はワイエスがすごいと思っていたのと、似ていないようなにているような感じでふつうにマンズーが好きだったのを思い出して、今も嫌いじゃないな、とか考えながら粘土を作品に付けていくのだった。
しかし、作っているものはそんなのとあまり関係はない。「幻影の固まり」とかいうタイトルを考えたが、それもまたどうだろうかというような気がしていて、そのかたちはいかにも固まりのようだけれど、幻影の感じはあまりない。「夢遊病者の幻影の固まり」というタイトルをなぜか思い付いたのだけれど、ますます実態からかけ離れる気がする。