ブレヒトとワイル

つまりは、「三文オペラ」で、「匕首マック」。
匕首マック」というのは「マック・ザ・ナイフ」で、「マッキー・メッサー」だ。
こんなのは誰でも知っている、と、いうことは、全くない。

なにを書いているんだろう。

大学生の頃、ドイツ語をいつも落として、最後から2番目の時の、やはり落とした授業の、最初の頃に聞かされた「マッキー・メッサー」。
音楽だけなら「何でこんな音楽を聞かされねばならないのか」というようなもので、舟歌かなにかではないかと思った。単純で乱暴な感じが何か引っ掛かったが。
そのうち、「マック・ザ・ナイフ」は、イギリスのディブ・エドモンズかニック・ロウがやっているということを何かで知ったはずで、それを知ったときにどうやらすごく有名な曲らしいということはわかったが、ブレヒトの名もワイルの名も、ドイツ語の授業の時に聞いていたはずだけれど、ちゃんときいていなかっただろう。

それが「三文オペラ」からの有名な「ソング」らしいと知ったのはいつのことだったかわからない。
ちゃんと聴いたのは、ウテ・レンパーという女性の歌手の人が参加している「三文オペラ」の全曲版がいいらしいと雑誌を読んで買ったのが最初のはずだが、それまでになぜワイルに興味を持ったか思い出せない。

あとは、高橋悠治三宅榛名の、「いちめん菜の花」というアルバムで「三文オペラ」からの曲をふたりで歌ってピアノを弾いていたのが衝撃的で、あれはなんといううただったか。
歌詞が「頭使って生きようったって、頭で飼えるのはしらみだけ、ひとはこの世のたくらみすべて気がつくほどにはずるくはない。計画たてて、わかったつもり、裏まで読んでも両方とも外れ・・・」というようなもので、あれほどおぼえようおぼえようと思った詩はなく、そのために書き付けた詩というのはこれくらいなんだけれど、なぜかちゃんと覚えられなかった。

高橋悠治晶文社からの三冊目の、だけれど私が最初に買った本「たたかう音楽」で、対談していた林光の本を幾册か買ったが、そこでブレヒトの事がよく書かれていたと思うが。

ときどき彼等の作った音楽の、卑俗な響き、そしてそれと同時に、最も俗っぽいものにこそ何か気高いものがあるというようなことばを、思い出す。