スナップショット08-9.11

忙しい毎日にやっと区切りがついた。昨日でほぼ終わり、今日はその残務整理的な一日。それも終わった。
「忙しい毎日」というものの実感、数年ぶりなのかも知れないし、この度のようにその忙しいことの意味をわかって、その忙しさの程度を客観的に把握して、日々「出来ることを出来た」実感が持てたのは、「社会に出て」から初めてかも知れない。
じゃあ、社会に出てからの今までの19年間、何だったの?


ということはともかく、昨日は素粒子加速装置の実験のニュースなど見て、「Googleのトップはこれをモチーフにしていたのか」と思い、そのGoogleのトップ画像でこの手の情報に初めてふれたのだ。
ということの意味を考えた。
私は科学に関して興味がある方の人間だから気になるのかも知れないが。
私が忙しかったといっても、日本の社会ではもっと忙しく、心の余裕の持てない人が多いことを知っている。
カミオカンデは国内でやったことだからそこそこ知られたけれど、そうじゃないと、こんなことになっちゃうのね。後追いでしか知れなかった。
日本の中枢では、たぶん教育レベルを上げない方がいいと考えているな、と、直感した。
そう考えたのはこれがきっかけではないが、日本に存在する知的資源は、専門家の独占傾向が強く、そういう高度な知識に日常アクセスしている層と、全く関心すら持てない(受験勉強に追われている学生ですらも)層との知的欲求の格差といったら、尋常ではない。
(教育や、報道などで)「与えられる」形の知的資源の「センス・オブ・ワンダー」の取り除かれ方といったら、とんでもない。教育産業ではそれが徹底していて、企業で品質管理をすることを徹底するのに似た形で、受験のテクニックを覚えるゲームに熱中させることに、スポーツの監督のように有能であることが教育産業におけるアドバンテージであると思う。
単なる想像なんだが。
で、そうじゃないと、知的産業はこれ以上有能な人材を雇い、高額な給料を払うことが出来ないのではないか。この知的好奇心に与える栄養に乏しい世界で生き延びた才能だけに高給を与える事しかできない・・・。
と、いうのはもちろんうがった想像だけれど、つまりはその格差の中間層の居場所がないということで、私などはそうなんだなあ、と被害者妄想をたくましくしたのだ。
あと、たくさんいる教員の人たちって、どう考えても知的エリートではなく(大分の事件を見るとわかることは、あの県の教員現場出身者の最高出世のひとの脳みそが筋肉なのだということだ・・・もっとましな知性の持ち主が出世していない、できない)、中間層だなあ、国民の多くに理解されないわけだ。


そのニュースの前には9.11から7年経ったアメリカからの報道を見た。
テロとの戦い」ということばを共和党の大統領候補もつかわないという。同じ共和党の前大統領との違いを鮮明にすることをアメリカ国民はほぼ許容したということで、日本の政治家などが一時口にしていた「愛国心」のモデルケースが破綻したと考えるべきであるような気もする。「パトリオット」はアイデンティティーを放棄したと。しかし、アメリカ国民がようやく「空想から科学へ」向かった、いや現実を直視するようになった・・・というのもちょっとこじつけてみただけだけれど・・・とも思える。
どうでもいいやという気もする。
アフガニスタン情勢が悪化していることを遠い地域でもっとも強く感じているのが「ペシャワル会」の日本かもしれないという皮肉な現実。あれが効率的な(弱者の?)テロ?


北朝鮮キム・ジョンイルの不健康説と、日本の自民党総裁選がほかの主な話題という、昨日はそんな一日。


あ、十勝沖、震度5弱地震も昨日だったか。