兵士と女性

NHKの夜のドキュメンタリー番組で、主に米兵のPTSDに関してとりあげていた。

番組は新兵の訓練風景、「殺せ、殺せ、殺せ・・・」と、繰り返し叫びながら格闘などの訓練をしている様子。命令を反射的にはっきりと受諾し実行する訓練の様子など。

第一次大戦で問題になった当時はなんと呼ばれていたか、当時は戦闘が出来なくなる兵士が増え、戦力が失われる問題としてとらえられていたようだ。逃亡兵と同じように射殺されたり、電気ショックを与えてふるえなどの身体症状を取り除いて戦場に送り返したりしたらしい。当時はPTSDという言葉はなく、違う言葉が使われていたようだ。
日中戦争でも問題になり、電気ショックはここでも使われたらしい(このあたり、眠ってしまった)。
ベトナム戦争からの帰還兵のふたりにひとりが心の問題を抱えていたという。ひとりのベトナム帰還兵が、18年くらい前のインタビュー映像でその苦しみを語っていたが、彼は10年くらい前に銃を用いて自殺してしまった。年老いた母親がそのことについて話す。彼は「ソンミ事件」に、十代で参加していた。
アフガン、イラク戦争以前まではその反省をふまえ遠隔からの攻撃による作戦を多くしていたが、その「テロとの戦い」から兵士は再び接近戦の中に投げ込まれることになる。テロリストだと思ってつえを持った初老の男性を撃ってしまった兵士が苦悩を語る。彼はテロリストを撃った達成感を感じた後結果を確認し、足が不自由な年老いたひとだとわかり、死んだ男が祈っていたのだと感じ、彼がテロリストであったかどうかを永遠に確かめられないと考え続けている。自殺を図って帰還した。
現状、それらもふまえて送り出す際の「予防接種」、帰ってきた際の復帰へのステップなどを検討していることも語られた。

兵士というものは、しかし、「殺せ、殺せ、殺せ・・・」と、叫んで作られるものなのか。少なくともベトナム戦争までは、敵が自分たちよりも劣った存在、同じ人間ではないと思い込ませるようなプログラムが含まれていたようだ。



夕刻の海外ニュースで、ルワンダについて伝えられる。この国は主にコーヒー生産によって年間5%の経済成長がつづいているというが、その担い手は主に女性だという。部族対立のための虐殺によって男性が少なくなってしまったからだ。
コーヒー豆の加工場を作った女性が語る言葉の確かさ。命令によって自ら望まないことをしてしまったことに後で気付いた米兵たちの言葉と対称的だ。
ルワンダでは下院議員選挙が行われるが、女性議員が過半数を超える見込みらしい。虐殺がもたらしたある種皮肉な状況。
この国では部族について口にすることは今もほとんどないという。



今日は毎週見ている大河ドラマも見た。面白いのだけれど、ある種の美化が行われているだろうとは思う。現実はもっとうさんくさいものだろう。そして、私たちの日常の「仕事」なども多くはそういうものだが、美化した人間へのイメージが、現時と二重写しになるような状況が、何かを膠着化させているように感じた。