散歩記080919


久しぶりの本格的な散歩だ。朝10時45分くらいから11時30分過ぎくらいまで。
私の住む町の北側は東西に流れる川、河川変更で南北に流れる二本の川をつないだ、そのつなぐ部分だ。その川の北側には有名な火山の山裾に連なる山林がある。二本の川と、市街と、高速道路に囲まれた山林が、ここ数年間、私の庭のような散歩の場所になっていた。しかし、今年は去年の10分の1も歩いていないことに気付く。
週に2、3度は歩いていた小道を歩くのがもう数ヶ月ぶりではないかということに気付く。そのエリアのどこかを2日に一度は歩いていたのが、1ヶ月ぶりだろうか。去年当たり前だった景色が、なにか違った感じで見える。懐かしいということばはあてはまらないが、そのような色が少し付いてしまっている。
あとは老眼と、脳の機能の低下を感じた。やはり海馬の萎縮が始まっているのではないか?

そこから戻ってきて、市街も少し歩く。11時30分過ぎに女子中学生をひとり見た。顔までは見えなかったが、長い髪に短いスカートが似合っている。おとなびて美しい感じだ。ほかに中学生を見かけなかったところから見ると、なんらかの理由をつけて早退したのだろう。孤独な感じはあるものの、しかしのんびりと颯爽と歩いているではないか。あまり「いい子」ではないのだろうと思った。あんなに格好のいい女子に好き勝手に行動されたのでは困ったものだと思ったが、私が教員をしていた頃とは違ってあたりまえなのだろうか。これは今の教員を責めているのではなく、同情しているだけだ。

何か頭の中がつながる感じがする。散歩の時には思いがけないもの、またはそれほどではないにしても意図していないものと出会う。音楽への意欲がよみがえるのはほぼ散歩の時だったことを思い出した。作品のアイデアが浮かぶことも多い。
私はおそらく管理された枠組みの中で考えて積み上げていく(悪いこととは思わないし、ここで「管理された」と言うのは自己管理の意味合いが大きい)ものとは違ったかたちで考えるタイプなのだろう。