病んだ魂8

とりあえず、ノイローゼということにしてしまおう。精神病というほど重くはない、神経症
でも、本当に神経症の人って、会ったことはないのだけれど、実はかなりふつうではなくなってしまうものなのかも知れない。
いや、私もふつうではない。決断ができない。決断しないでも生きていけるのは驚きだ。
何かをやろうと決めるのは、自分の意志というよりは成り行き。能動的なことは、統計的な判断のようなものでやるかどうかを決めている感じがする。続かないことが多い。集中できない。
作品を作るのに苦しさがあったが、なくなった。楽しみも、減った。


関係がないようで関係があるが、私は「就職」するのがイヤだ。今、ほぼ就職しているようなものだが、何か自分が損なわれる感じがしたのが怖い。そして、そのことは仕事の仕方に影響を与えている。
最低な労働者かも知れない。先ごろ客観的に見るとすごく仕事が出来たようだが、あまりいいことをしたような気がしない。


なぜノイローゼということにしようかと思ったのだろう。なんか、そんな感じだからだ。ヒステリーなんて言葉もある。これは強迫神経症だったか。「ノイローゼ気味」とか、「あの人ヒステリーだから」のように日常化できる。

でも、もう、このような言葉は使われなくなり、鬱が流行っているんだなあと思う。鬱といっても、本当の精神病の躁鬱病とは、もうほとんど関係がない。
ストレス耐性が低い人が多く、逆に予期せず普通の人にストレスをかけてしまうことも多く、労働者の環境なんていうものは場合によって狂気に近いので、労災というよりは、人を雇う立場の人間の多くが制度に従属して人間性を失っているための人災だろう。軍隊では命令に従うが、会社ではロジックに人間が自ら従属する。そして、ロジックが体系的になっていない。
分裂病的なロジックの会社は良くないですよ。会社理念が良くても現場レベルでだめなのとかも・・・。中小企業はあからさまに狂っているものも多いですが。

その、精神分裂病というものがあって、今は統合失調症と呼ばれている。私の知人にふたりいて、ひとりはちょっと変な人というくらいで、意外だ。これは軽い人もいるのかも知れない。ただ、幻覚があるらしく、私はないので、そのあたりに私が自分はこの病気でないと判断する所以がある。が、わからない。
多重人格とかそういう傾向がある気がする。行動、言動、その背景の思考にまで自分で一貫性が感じられない。以前はなんかもっとまとまっていた感じがあった気がする。アイデンティティというものが、薄い感じか。


こういう病のきっかけになる、つらいことがどういうものかというと、今の鬱は時間や身体的な負荷、ストレスが量的に過大で、そのストレスに耐える理由が社会的にほとんどないので、自分で見つけださねばならない・・・それはふつうのことなのだが、たとえば家族のためだとしても必要以上に無駄な時間と精神力を費やすのがあまりに個人の耐える限界を超えたりする、ような状態から抜け出す精神力がすでに奪われ・・・「名ばかり店長の際限のない時間外労働」など・・・。
私のつらさ、きっかけになった状況は、自ら落ち込んでいったおかしなロジック、感情のおかしな連鎖だったが、それにはいちいち出会った人たちが関わっていて、あるところで出会った人と、関係ないところで出会った人のロジックが真っ向から対立するということが多く、私は結局どれも理解できながらどれにも(とりあえず)反論するというようなことをどんどんやっていったかもしれない。こういうのは分裂病のほうの引き金になるのではないか。
ダブル・バインド」という言葉がある。今もいろいろなことですぐこの「ダブル・バインド」的な状況になりやすい。



・・・文章として破綻してしまったか。最初に用意していた結論(?)にたどりつけない・・・その結論のようなもの(?)は・・・。
ノイローゼということにしようかと思ったけれど、今まで精神疾患類に関して調べて、パニック症候群・・・これはかなり近い症状があった、それは収まったが・・・季節性鬱病・・・これはこの冬何ともなければちがう可能性が高くなる・・・乖離性同一障害・・・???・・・等々、わけがわからない。記憶力の低下が鬱で起こるというので、最初認知症かと不安だったけど鬱だったらいいなと思ったりしたこともあった・・・更年期障害じゃないかと疑ったり、低血糖症というものも一部で言われている。厄年は、やっぱり一理あるのかな、とか。
「ノイローゼ気味だ」とか、簡単に片づけていればもっと早く良くなったかなと・・・。


あと、境界型人格障害などというものがあるということがあって、なんか私はこれっぽい感じがする。
人格に障害があるというのも、実はよく読まなかったしわからないが、なんとか精神が壊れないように人格レベルを変えようなんてしてしまって、何か得体の知れないものになるからこんな事になるんじゃないか、なんでこんなことが起こるのか。
いずれにしろ私は性格か人格か、ろくでもない、くだらない、ダメな人間だという気がする。
そして、そのように思うこと自体が間違っていると思ったものの、自分の関わる社会に悪影響を与える気がして、やはり自分がダメだと思う。そう思うことが社会に悪影響を与える気がする。
と、いうようなことをチャラにして、残ったコアの部分も、あまり良くないと思う。そう思っていることが混乱の元のような気もするが。
「自分が良くない」と思いながら、どう生きていくことが出来るのだろう、と、時々思う。
という考え方がおかしい気もするが、どうしてみんなそんな風に考えないのだろうと、逆に不思議だ。私はどうして自分がおかしいと、かつてあまり思わなかったのか。変だし、ダメじゃないか。
ほんとうは誰でも生きている意味があるという気がするが、自分に関してになると、良くないものとしか思えない。

が、そういう考えを表に出すわけにもいかないので、なるべく人を勇気づけたいと思っているが、さすがにうまくいかない。