病んだ魂10


ある一面、人の「精神」というように思われているものは、脳の働きの現れでもある。


「腰の痛み」というものは、精神的な問題、ストレスを抱えている人ほど多いという(書き方が間違っているかも知れない、以降も)。それはアンケート結果から数倍の割合が導き出されたようだが、脳の働きとの関係もある程度解明されているようだ。そういう、ストレスの多い人が「痛み」を感じる場合、大脳の、もしかしたら前頭前野ではないかと思うのだが、そこの一部分しか働かない状態で痛みを感じているようだ。ほかのタイプの場合は、痛みを感じる際に脳のいろいろな部分が働いているという。もしかしたら、大脳で痛みの認識を増幅してしまっているのかもしれない。
これはおそらく腰だけではなく、「痛み」というもの、ひいては神経系統の働きの一種のパターンを示唆してくれるものだと思う。
帯状疱疹というものは神経そのものがウィルスによって痛められることによる激痛が伴うというが、ひどくなると、ウィルス感染症そのものが治った後に半年以上も痛みが残るという。その際には、診療科も変わってしまうという。ちょっと違う話ではあるだろうけれど。

これを単純に敷延して考えるべきではないかも知れないが、何か感じることを必要以上に増幅し、反復するしくみ、パターン・・・なんて言っていいかな、ある種それも病だと思うのだけれど、そんなものが、脳の働きの上で生じてしまうようだ。
その痛みの元が精神的なものであってもそうなのではないか。ある時、こだまがなかなか消えないように、悲しみや苦しみが消えなくなる。
コンピュータープログラマーが心を病むことが多いというのは、実は以前から言われていたはずだが、あまりマスコミ等にはふさわしい話題とされていないと思う。今はそれを事前に防ぐようなことがされるようになったとも思うが、私の世代でそういう仕事をしていた人に聞くと、やはり周りにはそういうひとが多かったという。今も、不景気になってまた増えていると思う。そんなことにも関係を感じる。

ストレスで腰の痛みを感じているタイプの人には、「歩く」という処方がされていた。その時、脳の多くの部分が働くようになる。なんと簡単な! プログラマーや、座って仕事をする人には、自己防衛でこのようなことをしているひとが多くなっている。せっかくの自由にできる時間を、こんな文章を書くことになど使ってはいけないのだ!


逆に「心頭を滅却すれば火もまた涼し」ということが生理学的に裏付けられたとも言えるかも知れないのだが、そのように得意がっている人のなかにはある種人生の機微に無縁であり、無自覚に自分の考えを他人に押しつけるばかりであり、無神経に人を傷つけることが多いひともあるということも多いはずだ。もちろんそうではない人の方が多いが。
そして、私はどちらかというとそういうタイプであっただろう。
なぜ変わってしまったか、会話が、あるとき、どちらが無神経かを競い合っているようなことになっているのに、双方が気付かなくなってしまっていたようなことが始まりかもしれない。
あれ、しかし・・・もしかして変わって・・・病んで良かったのだろうか?




最近知ったことで、もうひとつ示唆的だったのは、中井久夫さんという、臨床の最前線で活躍されてきた精神科の医師の方、著作も多いはずだが、この方の最近の著書の紹介を新聞の読書欄で読んだのだが・・・。
気分障害から統合失調の間は、断絶しているのではなく、連続している」というような内容があったという。その中間の部分を、私ならグラデーションと言いそうなのだが、確かスペクトルという表現をしていたと思う。なるほど、気分障害にも、統合失調にも様々な原因、様態、推移がある。環境の違いが・・・。
このことが示唆的であると感じたと紹介文には書かれていたのであったか、その紹介の文章も印象深かったような気がするのだが、おそばやさんで読んで、これ以上のことは覚えていない。
気分障害は誰にでもあるし、身体的なことでもなる。「マタニティ・ブルー」は原因がかなりはっきりしているものの、身体的なことばかりではないかも知れない。そういうことについて周囲が理解できるか、できないかで推移も変わる。「イライラしていて嫌だなあ」と、そういう人に対して感じることは、結局はブルーな当人を悪化させ、人間関係の負のスパイラルを生む。遠ざけようとして、かえって悪くなるということがある。
あれ、これは中井さんの本の内容には関係がないや。