病んだ魂11

何をしているのかが、わからない。
お金というものがからんで、何かを見失っている。
私のことだけではないが、私もそれに無縁ではない。

安定した職、そういうようなものを手に入れ、それを受け入れることが出来れば、その時に自由になる。
しかし、それは、思ったよりも安定したものではない。

公務員は安定した収入を手に入れ、そのことで他から憎まれる。一部の(ただしどれほどの割合かは分からない)、あるいはかつての給料泥棒のような人たちのために憎まれる。民間からの利益、便宜供与の意味がよく分かっていないまま受け取っていることで、魂を腐らせているひとも多い。それが倫理的に問題になりやすい場合も、そうではない場合もあるだろうが。
東南アジアで海外企業から受け取った賄賂というものが、薄給の公務員の収入を補うものになっているということをテレビで見たときには驚いたが、どの程度までその言葉を字義通り受け取れるものなのだろうか。

話がそれた。

安定した職を疑い、受け入れることが出来ない。
一時は縛られないで考えるために自営の途を探った。一度は新たな視界が開けたが、そこにもちがった束縛があることがわかり、受け入れられなくなる。
安定した収入を失い、足下が崩れ、今まで考えていたこと、考えるということの基礎の、かなりの部分がそういった収入のおかげで成り立っていたことに気付く。

結局は、収入の得方が変わったくらいで変わってしまうようなものの考え方しか持ち合わせていなかったのだ。

身分というものは恐ろしく、ある人がものを考えるのではなく、その人の身分が考えるのだ。
身分も併せてその人なのでもあるが・・・身分といっても例えば持っている財産なども身分のうちであり、使えるお金などもその人であり、金がものを言ったりもする。
金がなくなり、人もものを言わなくなる。


問題は、そういう感じが、自分とは無縁だと考えていたことだ。ほんとうは、それが正しいはずだと思うのだが、そうあるべきだと考える自分の自信をささえるためには最低限の収入が必要でもあった。
いや、やはりそれは間違っている、とも思う。まず自信を持ち、収入はそれに付いてくる、というのが正しいだろうか。
が、もちろんそういう考え方もおかしい。