病んだ魂13 わびしい年の瀬

と、タイトルを書いてみたものの、確かにわびしいものの、ふつうのわびしいとは全然違う。


いまだ自分はまともな人間だとは思えない。どうしてまともでないと思うかというと、自分にまともでない部分を見つけると、ちょっとしたことでもひどく落ち込み、そこから先がとてもまともではない。それはかなりひどく、頻繁だ。自分に対して少しでも悪意があるんじゃないか、または軽く見ているのではないか、などと思ったら、そのひとに口も利けなくなる。必要のある会話は出来る。
したがって本当にまともではない。それでも一年前よりは全然ましなのだが。


鬱病とか統合失調症というものがあり、幻覚や、思考力のひどい低下などの歴然とした「症状」がそういう病気にはあって、生産的な活動に従事できないようになってしまうのだろう。そんなことはない。
私はそれなりに、ふつうの人並みに生産的なことも出来る。しかし、何か負の精神的イメージをいだきつづけている。ふつうよりもすこし有能かもしれない。が、とてもそういうように思えない。私の半分しか仕事が出来ない人の方がよほどまともではないかと思う。
はっきり、「ここからが病気」などということがあるのではないらしく、その中間にいろいろなレベルがあるという。私はどのあたりなのか、なかなかはかりようはないのだろうなあ。


25人にひとりが「サイコパス」といって、良心がないのだという。しかし拘泥がないためかけっこう魅力的とも思え、ひとに迷惑をかける。と、いう説明はかなり怪しい記憶のもとに書いている。2年前に出たらしい本にもとづいて書いたと思われる地方紙のコラムを今日読んだのだが。
「25人にひとり」などというけれど、これにもやはりいろいろ程度があるのだろう。「良心のない」程度が。
「25人にひとり」というのはアメリカの話で、アジアでは集団社会なのでひと桁ちがうなどという。じゃあ、150人にひとり?学校で、2、3クラスにひとり?とか、不毛なことを書いてしまった。
私にもサイコパス的な要素がある程度はあるだろう。「過大な自尊心で自己中心的」という部分がある。「行動に対する責任が全く取れない」・・・その傾向がある。しかし、その傾向によってまねいたことには呵責を感じる。それで引き裂かれるのかもしれない。これらはたぶん正確な認識ではないだろうが。
ストーカーや無差別殺人者にこの傾向があるともいい、私にもストーカー的な傾向はある。


わびしい年の瀬というのはある意味うそで、上記のような状態でさえ、いろいろな状況はここ数年で最もいい。しかし普通の人とくらべると、まだまだ良くない。
それにしても、普通の状態から、私よりひどい状態にどんどん転落する人がおおいこの年の瀬だ。
そういう意味での「わびしい年の瀬」だ。「わびしい」などと言っていられるだけましなのだ。