病んだ魂14

奇妙なことを考えた。

自己言及のパラドックスのような感じであるが、精神状態が異常なひとがまともな事を書くことは、異常なことを書くよりも異常なのだ。異常な精神状態で書かれたまともなこととは? おかしくなりかけているひとに、「おまえの言っていることはおかしい、まともなことを言え」と言うことは、新たな異常を生むことになるのではないか、と、思った。いちおう、現実問題としては「形からはいる」ことがあるので、正しい表現をしていくことで内心の状態も整えられるということのほうが多いとは思うのだが。

精神状態が健康なひとは、ちゃんとすこし異常なことをするのではないか。すこしバランスが崩れたときに、それにふさわしい表現をする。それによって健康を取り戻す。

なにかバランスを欠いたことをしてはいけない、というような事を自分に課しているような感じがあった。しかし、外から私を見るとバランスが崩れているとしか見えないだろう、という感じはぬぐえなかった。実際にそうだっただろう。
それでもバランスを崩してはいけないと、(心に)力が入りすぎる。疲れてしまう。
表にあらわれる活動の体裁を整えることに力を使い、心が着いていけなくなる。表と内側が乖離する。ただし、表に合ったことを考えようとはしているのだ。考えと、内側にある衝動が乖離してしまう。

ちょっと休ませてほしいときに、休めないことが続く。休日が持てるようになったときにはすでに、何もしていなくても、心は休めなくなっている。バランスが崩れたまま、体勢が傾いたまま、走り続ける。倒れるように動けなくなっても、心には地面やベッドのようなものはない。どこまでも落ちていくだけだ。
心の宇宙で泳げない人間は、無重力の中、溺れることになる。あるいは、人々の心の引力圏から、どこまでも離れていく。

そんなイメージの暴走の世界から抜け出すことは、ひとりではできない。
宇宙をどこまでもひとりでただよっている気がしているときに、ふとふりむくと、懐かしい顔がある・・・そういうことがないひともたくさんいるのだろうが。