病んだ魂15

サザンオールスターズのことを考える。去年のシングル、「アイ・アム・ユア・シンガー」。古い歌だといつの間にか思っていた。ミスターチルドレンのことを考える。去年のシングル、「hanabi」だったか、小文字のローマ字表記はいいのか。なにかこんなひとたちが変わらず一貫したことを続けているということと、関係がない私の日々、ダメだ。
一貫しているひとたちの美しい仕事、あまりに空気のようで意識することがなかった。しかし、ヒットチャートの上位に来ていたのだなあ。コマーシャルソングではあるのだろうが、穏健だろうがメッセージ性のある・・・しかしこうしたメッセージ、「アイ・アム・ユア・シンガー」なんて、なんというタイトルだ。こういうメッセージが空気のように何事もなく、しかしそれは「消費」されているとかいうことなのか。どう考えてもなかばあからさまだったりあからさまではなかったり、しかし反戦に類する、あるいは人が不幸であってはいけないというメッセージ、これらはひとびとの心の中に、どう溜まっているのか。溜まっている?とどまっている?動いている?小さく?大きく?
ああ、でも、サザンオールスターズは活動を停止したのだったっけ。そして、「アイ・アム・ユア・シンガー」か・・・くそっ。

ビートルズのことを思いだす。死んだジョンとジョージ、生きているヨーコ、そしてポール(そしてリンゴ)のことを思い出す機会はないわけではない。ああ、でも、何か、昔には予想しなかったような思い出し方だ。
「ア・ハード・デイズ・ナイト」と、「ヘルプ」が今は一番好きかも知れない、というのは、いったいどういうことだろう。
この2曲は、「ア・ハード・デイズ・ナイト」はもちろん、「ヘルプ」もラブソングではないか。


何を書いているのだ。私は、何をやってるんだ。
こんなに自分がわけのわからないくずのようなものになるとは、全く予想していなかった。


お笑いは一時期好きだったが、それ以前から、ダウンタウン爆笑問題が私にとっての生きる伝説だ。ときどきこのふた組に触れるのが、空気が未だこの世にあることを確認できるひとときでもある。ウッチャンナンチャンも、例えば「イロモネア」なんかを見ると、うれしい。
ダウンタウンの松本とウッチャンナンチャンウッチャンが競演したらしい。「夢で会えたら」が、夢のような、目の覚めるような時間を目の前に表してくれたかすかな記憶がよみがえる。


何を書いているのだ。私は、何をやってるんだ。