ジュブナイル

なぜか「Q.E.D. 証明終了」というドラマをときどき見てしまっている。
そして、そのご都合主義的な筋運び、硬い感じの演技にもかかわらず、あるいは逆にそのことのためにか、けっこう嫌いではない自分に気付く。
それは、おそらくむかし、子どもの頃によく見たジュブナイルドラマの空気を久しぶりに吸い込んだからではないか・・・。「少年ドラマシリーズ」というのか、夕方6時台にやっていた。たとえば、「タイム・トラベラー」「七瀬ふたたび」「なぞの転校生」「未来からの挑戦筒井康隆眉村卓光瀬龍・・・と、書いてはみたけれど、Wikipediaで調べたところでは光瀬龍原作で見た覚えのあるものはなかった。というか、ほとんど見た覚えのない。「赤い月」というもの、テーマ曲ばかりが耳に残っている・・・。
当時のセットや演出などの安っぽさに比べると、「Q.E.D. 証明終了」は凝っているような、しかし・・・。

前回は(ネタバレあり)主人公の推理は半分間違ったままめでたしめでたし(?)。半分濡れ衣を着た犯人は自業自得なのだが、真犯人は捕まっておらずエンディング・・・はっとさせられた。

今日の放送分では・・・高校生時代に小学生時代を追憶するということのリアリティ。イノセンスの浮かび上がり方。「甲子園の一回戦で負けた原因になったエラーをしたために、いやがらせの電話がかかってくる」という残酷さのサンプルが、鮮やか。記憶というもののあいまいさ・・・わざとらしさとリアリティが交錯していることで、面白かったのは、「ちりとてちん」がそうだったのだけれど・・・。
こんなもので泣けてしまうのは、こんなものというのは失礼だけれど・・・大人ってこんなものなのだったか、社会って、つまらない。いや、そんなことはない・・・しかし私のまわりの社会の半分はつまらない・・・それは私にも原因があるのだろうけれど・・・逆に美術や音楽の仲間は恵まれすぎているほど恵まれているのだけれど、その反動のように仕事というものの色あせ方や、家族や親戚の何人かとの関係のひどさ・・・そんなことで荒れている感覚のせいか。

あるいは、自分が子どもだったことを忘れることは、良くないということかも知れない。