「ファースト・フィナーレ」

スティーヴィー・ワンダーのアルバム、自分も出た2月のマンドリンの四重奏演奏会のCDの次に入っていたので予期せず聴くことになった。ふつうのポピュラーの音源なので、アコースティックのライブ録音(?)の次に聴くと、ちょっとびっくりする。音量、音質・・・コントロールされた音は、はたして人間的なんだろうか? しかし次にほっとしたのは、スティーヴィー・ワンダーだから?


以前は、たとえば大好きな「キー・オブ・ライフ」にくらべると単調な感じに思っていたのだけれど、それはどういう理由だったんだろう。あのアルバムよりは静かな曲が少なく感じていたかな。そういえば、静かな曲も、音量レベルがそんなに変わらない(のだろうと思う)のは、思えばどういうことなのだろう・・・自分で音楽をやり、さらに続けてしまっていることと、そんなことも何か関係しているかな。


どちらにしても、そういう違和感を感じつつも、それどころではない魅力、それから、何か感謝のようなものを感じる。
産業化された、複製技術時代の音楽。莫大な富も生んだのだろうけれど、しかし、美しい音、こんな表現は陳腐だけれど、心にしみる。なぜ人はこんな美しいものを生み出せるのだろうか、非情なシステムに押しつぶされずに・・・あるいは、そんなものと拮抗する何かがあるのだろうか。その緊張感・・・地球上の時空にちらばる人たちにこんな巨大なスケールで不思議な形で伝わっていく音楽とは、なんなんだろう。そんなものを生み出す人間とは?


音の中にちりばめられているのは、例えばリズム、ラテンのもの、ハーモニーにはゴスペルのもの? とすれば、西洋のキリスト教音楽の流れも・・・どちらにもあまり関わりがないともいえるし、現代になってからは深く関わってもいる、東洋の不思議な国の片隅でこんな音楽を聴くこととは? それで救われる魂とは?

ファースト・フィナーレ(紙ジャケット仕様)

ファースト・フィナーレ(紙ジャケット仕様)

キー・オブ・ライフ(紙ジャケット仕様)

キー・オブ・ライフ(紙ジャケット仕様)