暗いかも知れない素描

北朝鮮の平和的衛星のロケットに燃料が注入され、発射されるのだなあと思う。ミスが生じて誰かの頭上に落ちたりすることもないとは言えまいが、それは本当の平和的衛星などでもありうることか。
ともあれ、月並みな感想ながら「平和的衛星」には開いた口がふさがらない。あんなもののための費用というものはどう捻出されるのか。ほんとうに自分の置かれている状態が平和かどうかを考えようとできないだろう生活をしている国民にも、愛国心のようなものが刷り込まれ、自分たちの平和を脅かしているのが日本やらアメリカ合衆国なのだということになっているのだろうか。彼らは世界というものをどのようにイメージできるのだろうか。
そして、その飛翔体が国土を目指してきたときのためにせっせと迎撃体勢をととのえている私たちの国のほうの費用というものは北朝鮮よりは正当な手段で国費から捻出されているということに、制度上はなるのだろうか。「ひとりあたり国民総生産」などというものを計ること、「強い」貨幣、産業、近代化・・・私たちは富を生み出してきたような気がするものの、北朝鮮が国内でやっていることを世界的規模でやっているようなものではないことをどうしたら納得できるのか。


自閉症」ということを・・・今日は国連の定めた「世界自閉症啓発デー」だったという。コミュニケーションに問題を抱えている私・・・と、とらえてみることがいいことか悪いことかの見当がつかないものの・・・も、なんらかの障害を持っているようなものだという気もしてきているが。
いずれにしても、脳、神経系の病や障害というものが先天的であったり後天的であったりで生じるものだということを、意識の中にうまく位置づけることが難しいこと、健康な感性の持ち主がいるという考え方すらもが難しいとさえ思えなくもない。障害の持ち主に対する対応の難しさ、それを克服できうる人の少なさ、少なくとも社会全体としてはある種の障害を疎外しようとすることによって、むしろ社会の中に障害をふやすことになるということ・・・。


自殺するひとが増加しているというニュースもあった。このようなことを考えないようにすることはある種の健康的な心の動きかも知れないと思わなくもないが、実際には誰にでも知り合いの知り合いくらいには自殺者がいるような世の中なのだとすれば、やがて自分を殺すのは、そのようなことがらを疎外しようとする心性なのではないか。
運が悪くなければそのようなことがらとはあまり深く関わらないで済むだろうが、そういうことは、ある日突然に訪れるものだ。