社会

北朝鮮が飛翔体を発射して、貴社の記者が汽車で帰社した。
それを飛翔体と呼ぶのは、しかし、あんまりで、ちょっといい加減にしてほしい。なぜ飛行体ではないのか。さらにむしろ、ふつうにロケットと言ってほしいものだ。ロケットというと衛星打ち上げ用のものだということを追認することになってしまうし、ミサイルというと人間を殺傷する、あるいは人間の生産財を破壊するために人間がわざわざ作った、同じ種族同士で殺し合いをするなかなか珍しい生物の作った道具だということになってしまって、将軍様に失礼だからなのだろうか。
思えば平和的衛星ということば、これもなかなか笑えるものであり、平和的ではない衛星というものもあるからなあ、それに、私はロケットの先にはちょうどいい重りか何かが入っていただけだと思うのだけれど、それがほぼ空っぽだとしてもそれはそれで平和的だというようなことにはならない。何か子どもの考えることのようなのだけれど、しかし、ロシアや中国では北朝鮮の建前を尊重するようなところがあるらしく、インドはどうなんだろう、シリアとイランが何か北朝鮮と仲がいいというような話が聞こえたようなニュースでちらりと聞こえたような気がするのだけれどなるほど、ひとたびそういういろいろな国々に立ってみると平和的衛星なんていう愚の骨頂というか、幼稚きわまるというか、幼稚なんて言葉を使ってしまうと実際に幼い人間の人たちに失礼だというかそんなことば・・・。
でも飛翔体とかいうのもなあ。


なんてことを書くつもりで社会などというタイトルを付けてみたのではなかった。そもそも社会などということばは、いつ出来たのだろう。ややこしいのは、西洋ではむかしからあったことばだったのだろうけれど、日本で言う社会というのは・・・。「社」で、「会」うから社会なのか・・・中国でも使う言葉なのだろうか。
日本人がそんなことばを使うようになるのは小学校の教科としていやおうなく認識してしまうからなのだけれど、人間という生物種のコロニーの作り方が多様なので、その様々なスケールの総称としてつかわれている言葉のようだがしかしそれでは正確ではなさそうだ。
そもそも人間という言葉がなぜ間という語をくっつけたものになっているか、生物種というものの名称としては奇妙だ。だれがニンゲンなどということばを提唱し、それをいつからあたりまえのものとしてつかうようになったのか。


なんてことを書くつもりで社会などというタイトルを付けてみたのでもなかった。あれ、なんだったかな。


一応書いておくと、NHKスペシャルで「JAPANデビュー」などというものをやっていて、昨日は不眠症?でほとんど寝ていない状態でぼんやり見ていたものの大変興味深く、再放送があったら録画したいものだ。録画機はもっていないけれど。今日が第1回目で日本の台湾の植民地支配についてであって、後藤新平という恐るべき時代の恐るべき人の話が出た。このひとについてはいずれにしても裁断の恐ろしいまでの鮮やかさが際立つのは確かであり、そういうことは今はあまり行われない。当時世界の植民地大国フランスでは同化型の施策を、イギリスでは差別型(?言葉を忘れた)のそれをやっていたのだが、日本は市民権(臣民権?)こそ与えた(?)ものの差別型の施策をしたという。
台湾・・・独立を認めてやったらいいのに、と、思うが、気になったのは日本が台湾に対する施策を時代に逆行して同化政策に切り替えていったのは原敬で、その時に琉球に対しては同化が成功したなどという例を示したらしく、そういえばそうだったのだ。ウタリ協会がこの度改称してアイヌ協会にもどったが、アイヌに対しても同化政策だった、そして、現状でも事実上そうだというか、もう、民族自決は事実上ありえないのだと思う。
この場合の成功とは?
民族自決・・・国際社会で影響力のある形でこの言葉をつかったのがアメリカ合衆国のウィルソン大統領で、その後の民族国家独立の動きがあり、現在の市民国家というもの、この形で決まったものが多いのだろうなと思う。国家というものは・・・。
そして、それを提唱したのがウィルソンだということ、そのアメリカ合衆国の民族というもの、自決できず同化しているのではないか、皮肉であるというか、発言そのものがアメリカ合衆国の国際戦略上の功利的な発想で発せられたと思うがいかが?そんな薄っぺらいものじゃないの?


なんてことを書くつもりで社会などというタイトルを付けてみたのでもなかったような気もするが・・・。