私は誰だ? 1

「病んだ魂」などというタイトルで22まで書いてきたこととたいして変わらないが。


実際に診断を受けたわけではないが、私はしばらくの間ある種の精神、神経系疾患であったのではないかという感じを、あらためて強くしている。それは、その当時の精神状態と、今が全く違うからだ。あれは、どう考えても尋常ではなかった。不安の昂進。自分が何か異様な存在であるかのような感じ。


いや、今の私が異様なものではないとは言わない。
今も私の周囲に醸し出す異常な緊張感とか、何か空間がゆがむ感じがあると思う。それを感じる人も感じない人もいるようだ。そういう意味では今も神経系の疾患を持ち続けているのかも知れない。が、その「しばらくの間」とは明らかに程度、あるいは質が違う。
感じている手応えの違いは・・・たとえばその「しばらくの間」も、疾患らしいと自覚していたのだが、その自覚する主体もなかば喪失している感覚があったし、「疾患だと自覚するような自分は良くない」というような何か恐ろしいフィードバックが付随していた。今はそれがない。


また、その間の私に接した人では、さほど異常ではないと感じた人もいただろうし、これはおかしいから関わらない方がいいと考えた人もいたようだし、それぞれに、また違ったタイプの対応をしていて、そのどのような対応に対しても私の内心ではあまり正常な感情の反応は生じなかったと思える。感情? 理性的にも破綻した理論しか紡ぎ出せなかったようでもある。
破綻した理論? それは今も変わらないようでもあるが・・・。


あるいは、かなりあやしいと思っていることなのだけれど、その疾患が現在より重かったであろう時期の方が現在の私よりもまともであったと感じている人もいるのではないかという疑いも持っている。
これは・・・。
私自身は一般的な生活者の感覚のある部分にはふつうに信頼を置いているが、ある部分には迷うことなく疑義を持っている。と、いう言葉で表せる状態はかなり以前から続いていて、今も変わらない。しかし、そのことの表現や、そのことが私の行動に反映するときの、内心と行動との関わり方、確信のようなもののありようが決定的に違っていたような手応えを感じている。


ややこしい表現・・・。


しかし、私の病は、病だったとして、なんだったのだろう。何か重要な核心に触れたような感じもないわけではない。


私の知人・・・というよりは知人の知人と言ったほうがいいかもしれないが、それらしき人が歩いているのを今日車から一瞬見かけた。この人は一時うつ病と診断され、後に統合失調症と診断された。その歩いている様子は異様といえなくもなかった。
私の別の知人は、以前から精神分裂病ということで障害者の認定を受けているはずだが、私が接した限りではさほど異様というほどではなく、私よりまともな部分も多いかもしれない。その自覚した状態で安定しているということがあるのかもしれないが、始終自覚しつづけているということはないだろうし、しかし、なにがしかの自己の位置づけには成功しているのかもしれない。
と、いうのはまた別の話だが・・・。


私はまた別の、うつ病で治療を受けていた時期のある知人もいて、その人と何度か話した感じ、また接することの出来たいくつかの情報からは、現在私たちが受けることの出来る精神科、あるいは心療内科の対応にはあまり信用がおけないのではないかという疑いを、かなりの確信を持って感じている。あるいは、私自身が医療機関の世話にならなかったことは良かっただろうと思う。これは日本の状況でもあると思う。精神科のみならず医療体制全般を取り巻くある種の状況、医療保険制度にはこれでもかなり信頼を置いていい部分があると思いつつも、問題が多いだろうというその部分も含め・・・。
というこれもまた別の話だろうが。
とりあえずしかし、現在自殺者の多さにたとえば地方自治体が取り組み、そこに医療機関が関与するというようことはさらにまた別の話としておおいに評価すべきだと思うけれど。


社会として、精神疾患や、社会への不適応状態にある人などへの対処方法の未熟さ、無知、幼稚さ、みたいなことがあり、これは情報化、社会制度の整備などが進んだことで退化している部分すらあるということも感じるが、これももちろん別の話のようでもあり、そうではないようでもある感じを受ける。
何かしら整合感(「感」にすぎない・・・とはいえ「感」を軽んじるわけではなく、むしろ重視したいのだが・・・)のある、あるいは一面的に、一時的に整合していることで実際には破綻を用意するようなロジック、あるいは言説が様々な人の行動や制度の活動、運用の局面で安易に利用されすぎていると思える。
物語について語られもする(した?・・・今は問題にしない?)。物語の検討は安易に放棄されている気もするが・・・。


「しばらくの間」に、私が維持し続けられた人間関係があり、維持し続けてもらえたおかげで私の現在があること、また、なんらかの形で維持し続けられなかった人間関係に不安定な精神状態が関わっていたこと、「しばらくの間」に知り合ったなかで良い関係が保てている人、逆にそうではなかったひとのことがある。