国際情勢について

などと書くとおおげさな、ふと思ったこと。


ネトウヨなんていうのがいて、これはたぶん右翼でも何でもないのではないかと思う。かつて右翼といわれていた人たちは愛国心を持って伝統を重んじる保守主義者だったのではないか。さらにもっとさかのぼると愛国心も伝統もあまり関係が無く、保守派ということではなかったかと思うが、そしてさらに私はどちらにもさほどシンパシーを感じるわけではないのだけれど、現在・・・はちょっとわからないのだけれど、ちょっと前にネトウヨと言われていた人たちが最も熱心だったのは韓国(朝鮮)や中国の人たちをさげすむようなことだったと思うのだ。いや、こんなことを書くと、ほんとうの(?)ネトウヨの人にも失礼なのかな。
では、そういう排外主義的な(主に近隣国に対して)ひとたちというものはなんだったのだろう。彼らをくくる言葉はないのかな。
彼らのうち、自分は右翼的な人間だと思っている人たちがいれば、それは何かをはき違えていると思える。少なくとも近代の歴史に対する関心も、洞察力も持たないのであろうし、何か特殊な自分のまわりのこと、さらには、もっとおかしなことにどこかで読みかじったことを一般化するような乱暴な思考の持ち主だと思える。情報化社会の弊害だろうか。
言語も文化も違うひとたちとトラブルが起こるのはふつうのことであり、それを一般化することは・・・。


私は右翼にも保守主義にも、テロリズムとの親和性から共感することはできない。アルカイダは、イスラム世界の保守主義者ではないか? 左翼とテロ・・・日本国内ではそういうものが主流だととらえられているのか。本当にそうだろうか。三菱重工爆破事件は左翼なのか。朝日新聞襲撃事件は右翼なのか。
しかし、テロリズムというのは恐怖政治から来たのではないか。歴史的には封建君主(?)が行っていたことが多く、近代ではソ連と中国の、共産主義を標榜する中央集権国家で行われたことが有名だが、ほかにはアメリカが「発展途上国」の政変に関与した際に、それに伴っておこっている事態もテロリズムといえるものが多かったのではないかと思う。逆に、私はゲバラカストロホー・チ・ミンをテロリストとは呼びたくない・・・かれらを手放しで褒め称える気もないが。
基本的には既得権益を持っている勢力が・・・アメリカと発展途上国の例では、つまりアメリカが既得権益を持っている・・・テロリズムを行使する場合は、成功することが多く・・・財力に差があるので・・・成功した場合にテロリズムと呼ばれることすらも抑止できるということではないか。歴史上のことは、もはや権力の座にはない事例について述べられているだけだ。実際に権力を持っている勢力がテロリズムを行っていることを認めることはなく、それは安定している政権の管理下にいる人間がそれを認めたくないという心理と呼応している。
保守主義のテロ、たとえば大逆事件など・・・。それらの背景にある保守主義とはなんだろう。甘粕正彦というひとの不思議など。
左翼にも変革主義(そんなものはないか・・・とすれば左翼とは?)にも、革命の際に多くの大切なものごとを・・・場合によっては無辜の人たちの生命をも・・・踏みにじってきたひとたちが多いことを考えると、やはり共感してはいけない気もするのだが、とすれば中道をどうとるか?・・・と、書くと、極めてつまらない話になると思うし、私はまさしくつまらない人間に違いない。


と、いうようなことを書きたかったわけではなく、最初は北朝鮮の政治体制のおかしさにばかり注目するというのは片手落ちだろうということを書きたくなったのであった。
あのような国を作ってしまったのは、金日成金正日だというよりも国際情勢であり、知る権利すらも持ち得ない北朝鮮国民は歴史の被害者であり、世界の市民が等しくその責任を負うべきものだという考え方も、それを声高に主張すべきではないにしても、「あれはおかしな国だ」と不思議そうにつぶやくよりはましなのではないか、特に、すでに「自由(らしきもの)」を勝ち得ている体制下の、かの国の歴史をかの国の国民以上に客観的に知ることの出来る立場の人間は、少なくともかの国で圧政に苦しむひとたちよりは責任が重いのではないだろうか。
というようなことを考えてそれを書こうとした先から、ちがう上記のことが思われてしまい、こんなことを書いてしまうことになった。