マンドリンオリジナル曲について2 藤掛廣幸さんについて

本邦マンドリンオリジナル曲の作曲家、現段階での第一人者は藤掛廣幸さんなんだろうな。かつては鈴木静一さんで、それ以前は武井守成さんだったのだろう。
日本のマンドリン関係者で有名なのは古賀政男さん、萩原朔太郎さん、斉藤秀雄さんだろうか。これは蛇足。あと、いちおうN響アワーの池辺晋一郎さんも関係がないわけでは・・・これも蛇足。


「MuseFactory」という藤掛さんのサイトを初めて見た。かなりびっくりした。とにかく作、編曲したマンドリン楽曲が多い。世界中探してもこんなに充実したマンドリン曲のサイトはないのではないか。マンドニコさんのサイト・・・。
武井、鈴木両氏もけっこうあるのだろうけれど、このふたりはオリジナル曲専業だ。鈴木さんは映画音楽を書いていた時期があったのだけれど、たしかマンドリン曲を書いていた時期はそんなに映画の仕事をしていないのではないか。


このサイト、試聴もできる。「春の讃歌」「ロックン・マーチ」は面白かった。どちらもいわゆる藤掛節ではないので、そこがほっとする。あと、「スペクトラム」・・・難しい曲ならこんなことも出来るのに、ほとんどの曲はトヨタ自動車のマイナーチェンジじゃないかというような、目先だけ変えましたという感じのもの(というように聞こえてしまう)。
単純で個性的なものはつくれない人のようか。
うーん、「スペクトラム」もテレビゲームの「ファイナルファンタジー」シリーズの音楽に似ていて、しかもその面白さには全然及ばない・・・。


でも、藤掛節が好きだったこともあった。というか、藤掛さんの代表曲「パストラル・ファンタジー」を聴いてクラブに入ったのだった・・・。ほかには「スターバトマーテル」(クリスチャン?)は嫌いになれない。最初はだらだらと長ったらしくて嫌だった「グランドシャコンヌ」が今は一番好きだ。シャコンヌとかパッサカリアは有名な曲ほとんど大好きなのだ。バッハ、ブラームスウェーベルンのほかにあったかな。したがってタイトルにあえて「グランド」を付ける小生意気さはゆるせないものの・・・。
べたべたの「詩的二章」もちょっといい気がしたが、「サンライズ・サンセット」という言葉がちらついた。しかし、面白い要素と、かわりばえのしない・・・ある意味創造性に欠けるメロディーの組み合わせというのは・・・。
あと、日本的な曲は・・・と、いっても日本音楽のほんの一端に過ぎない通俗化された、おそらく明治以降に整理されたようなものをさらにつまらなくしたようなメロディー・・・ということで私としては許せない部類の代物が多いように感じた。
でも、「じょんがら」は、やっぱりいいかもしれない。そんなところが藤掛廣幸さんの憎めないところというか・・・


いまは夏にある私の所属している団体の演奏会に向けて「MuseConcert」をやっていて、あたらしさと親しみやすさと、自然な流れというようにバランスが取れている感じがして、藤掛さんにしてはまあまあいいほうだと思っているが、やはりなにか物足りなくもある・・・。


すごく失礼で、自分を棚に上げているのだけれど、このひとが第一人者なのかという疑問はある。
マンドリン関係の出身ではない作曲家としては、大栗裕さんや、木村雅信さん・・・この人は北海道の人以外にはあまり知られていないとは思うけれど・・・熊谷賢一さんのほうが好きだし、マンドリン関係の人では柳田隆介さんや、そう、まだ一曲しか知らないし、故人だけれど桑原康雄さんがもっといい曲を作っている気がする。久保田孝さんは微妙だけれど、もしかしたら藤掛さんよりは好きかなあ。吉水秀徳さんも・・・。今やっている舟見景子さんの「インプレッション2」はちょっと好き。小林由直さんと加賀城浩光さんについてはノーコメント。
でもやっぱり第一人者だなあと思うところに、皮肉ではなく敬意がないわけではない。私とは全く違う、私にはよくわからない何か、そのことのマイナスイメージが強いのだけれど、何だろう。「表現の強度」と言われたりして、藤掛さんの個別の作品、曲にはそれはないと思うが、ただ、なにかしたたかさを感じるし、嫌いなタイプのしたたかさのような気もするけれど、なんだろう。自分の欠けている部分を持っている人への敬意がある。




などと、この固有名詞を下品にちらした、どう考えてもくだらないヒョーロンカとしか思えない文章はなんだ、という自己嫌悪も感じつつも、ずっと感じていたことを、いろいろな情報に接した機会にまとめておきたかった。
自分でも良くないと思える衝動でも、大きくひとを傷つけるのではないはずなので、吐き出させてもらおうかと。(いちおう)マスに向けてやることではないという気もするが、敢えてやらねば自分を維持できない感じもする。