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日本郵政社長西川氏の続投をめぐる問題で鳩山(邦夫)総務大臣が辞任。内閣はおおむね続投容認であるところに所轄大臣(?)が認可(?)しないという不一致状態(?)を解消するためのようだ。
日本郵政の不祥事(?)「かんぽの宿」売却問題(?)。おおきな赤字を生み出し続けている・・・いったいこれら施設は何なのだろう。「郵便局の簡易保険」のお金を使って建てられ、経営され、その経営母体が巨大であるために赤字経営をしてもつづけられたことが問題なのか。売却がうまくいかなければ長引くほどに巨額の損失が続くことになるということからすると、鳩山氏が「まった」をかけたことは道義的(?)にはともかく実質的(?)にマイナスになるのか。それ以上に「私物化」が問題なのだろうか。鳩山氏は「正義」と言ったが・・・このような言葉を持ち出すことの不自然な感じは・・・彼のご兄弟、政界では後輩にあたるような兄の鳩山由紀夫氏は「友愛」という言葉をつかったが、この言葉の実質の意味もともかく、出自は・・・一郎氏・・・! 今検索してみたら「鳩山友愛塾」というものがGoogleの上位に・・・(それ以上は調べまセン)。
・・・それらの支出、巨額のお金の動きは誰にとってマイナスあるいはプラス?・・・簡易保険の契約者にとって・・・???・・・かつての郵政省は国の機関であり、国庫から資金が支出されていた(?)から国民にとって、ということになるのか?
あるはなしでは、日本郵政の社長というもの、報酬は財界の基準からすると極めて少なく、しかも兼業が禁止され、国の管理はまだまだきつく自由にならず、ご存じの通り(?)責任は極めて重大。超巨大金融機関と、民営化の先行国のいくつかはすでに国営化に戻したという難事業の舵取り・・・財界の有能な人間で、やりたい者はないという。
また、鳩山氏の盟友麻生太郎首相が(事実上)彼のクビを切らざるを得なかったのは、財界の猛反発が予想されることもあったという。
鳩山氏は自身の党内政治力や、自由民主党の支持を大幅に減退させ、国民の人気を得たのか。彼自身の人気はともかく・・・保守層からすると、彼の身の振り方、(組織にとって)信用の出来ない人間ということになったであろう・・・自由民主党の在り方やその依って立つもの、政治をうごかしているものがなにかを浮かび上がらせたようであり、その点ではありがたい。


厚生労働省の「局長」逮捕。事務次官候補とも言われる極めて有能な人のようだ。かつ、極めて重要な問題(特に「弱い」国民にとって)に関わっていたひとのようであり、その逮捕の案件のくだらなさとの対比が強烈だ。
私たちの生活が何に左右されているのか、これから左右されるのか、分かったものじゃない。
しかし、主義主張が違えども、有能な人というもののあらまほしさは変わらない。私は北海道の高橋はるみ知事はどうしても嫌いになれない。どう考えても有能にしか見えず、施策のいくつかが貧乏人を苦しめているにしても、地域全体にとって彼女がリーダーであることが有益である「感じ」は否めない。合理的な方がいいのだ。彼女については特に「イラクでの人質問題」の時の対応が忘れられないのだが。この度の局長氏は好きにはなれないということになりそうだが、いずれにしても残念ということになる。
有能な人というと、かつて、防衛省事務次官になり、長く続けたもともと有能だった人が逸脱していったということもあったが。
政治が、行政がかかえている「問題」、そこでの実務と、時に行わねばならない決断というようなこと・・・役人たちの居る場所に働く力とは?
逮捕につながった事件は、障害者団体を装って、障害者団体向けの低額な郵便制度を悪用した事件。これも郵便にも関連してしまう問題。一般的にいう卑劣な感じとは違うが、卑劣だよなあ。
しかし、「民営化」された持ち株会社(?)の名称が「日本郵政」とは。




パレスチナ国家容認ともとれる発言をイスラエルのネタニヤフ首相(このひとがいつ首相になったのか知らなかった・・・オルメルトという人だと思っていた)がしたというニュースに接し、不覚にも明るい気持ちになった。別に喜んではいけないというものではないが。
これはオバマアメリカ合衆国大統領の、聞いたとには絵空事かと思った主張(?)に沿う形で導き出された言葉に過ぎない。パレスチナ「国家」が非武装化されていることを要件とする・・・日本にならって警察予備隊というのはどうか・・・パレスチナ自治区への入植続行・・・エルサレムの扱い・・・この不思議な(たとえば日本人にとって?)国・・・単に「そんな簡単には出来ませんよ」と言っているようであり、「心の広い私たちは別にパレスチナ国家そのものがありえないと言っているわけではない」と、いう・・・レトリック? イスラエルの保守派というものはこういう立ち回りを喜ぶものなのか、あるいは苦々しく思うものなのか。いわゆる原理主義だとしたら、ありえないことであり、しかし、そうだとすれば、喜ぶべき事なのか・・・?


イランの総選挙。アフマデネジャド氏再選。問題は改革派の有力な候補と大差が付きすぎている(と、思える)点で・・・暴動(?)発生、デモに改革派候補参加、銃撃容認、死者が出たと、ニュースは続いている。




豚インフルエンザ」・・・新型インフルエンザと呼称することになったのだったか・・・国際的流行でWHOが警戒レベルを「フェーズ6」の最高段階に。
主に、これから冬になる南半球での流行を懸念して・・・実際に急激に拡がっているようだ・・・のようで、北半球では「当面のところ」ある程度の楽観視は可能かもしれないが、先だってまでの過熱報道から一転してのマスコミの静かさ、しかも各メディア足並がそろっているようで、気味が悪い。
それはインフルエンザへの恐怖ではなく、自分の置かれている情報環境のくだらなさへの懸念だ。地球の反対側なら、いくら人が死んでもいいのか・・・実際に、それに近く・・・しょうがないことでもあるのだが。地球の反対ではなく、身内でなければ、失業者がいくら出ても・・・マスコミとなると、政治、行政の現実との関わりもあって・・・高度な、機械的、自動的では済まない判断をして欲しいものだが、いずれにしても何らかの機械的な判断にぶれていることが多いように感じられる。しかし、やはりしょうがない部分も多いのか・・・。
今回のインフルエンザに関する重要な点は「弱毒生である」こと。ただし、これは従来型のインフルエンザや他の疾患との区別が付きにくく、また、感染者が活動を続けて感染が広まってしまうことにもつながる。とすると、強毒性だと広まらないか、という話ではない。パンデミックのイメージが、先行して話題になっていた強毒性の「鳥インフルエンザ」で定着していたこととの対比で対応が極端になったことが問題か・・・さらに、実際の正体がこれから変わるかも知れない・・・。
あとは、老齢のひとに対する感染性が弱い(?)こと。これは・・・老齢者の体力がおおむね弱く、インフルエンザに弱いことを考えると、ほっとすることか。壮年の人の被害が多いのはその反面に過ぎなければいいのだが、どうだろう。




無責任な立場でこのような事々を考えることは、良くないことだろうか。