政治、国と地方2

東京都議会選挙がおわり、自民党議席を減らし、麻生太郎自民党総裁が言っていたらしい(それを批判されていたらしい)議会第1党の確保どころか、目標としていたらしい公明党とを加えた連立与党での過半数を確保することも出来なかった。


今朝ちらっと見た番組では自民党のとある議員が国政と地方選挙を結びつけて考えるべきものではないというようなことを言っていたようだ。私もそう思う。個別の政策がよりストレートに個人個人の生活に反映してしまう分野を扱う議会なのだから、投票行動を地方レベルでは国政レベルと使い分けるのが、有権者としての正しい態度ではないかと思う。
それでは主義主張に一貫性がない、とかいう問題ではない。具体的に政治を左右するためには、有権者はそれくらいに複雑な判断をこなしていかなければならないのではないか。個人の思想信条の自由を投影できるほどに政治の世界は思想的に多様ではない。
さらに、具体的な問題に関して個別に考えると、政権党は継続性を重視せねばならず、国政レベルでは国会と官僚機構との関係が大きいのであって、地方自治体組織となると、それぞれまた違った関係性があるはずだし、もっと個々人、様々な組織、あるいは生活層毎の個別の利益と政治との関係はよりダイナミックで、自治体毎に事情が違う。


しかし各党の執行部の発言から伺えるのはこの地方選挙を前哨戦だとするような姿勢であり、これは有権者の投票行動を現実的、分析的ではなく画一的、表層的、感情的(と、いっても期待とか不安などの)だと甘く見ているようでもあり、実際にそうかも知れず、しかしそれは教育やマスコミがそういう有権者を育ててきたわけでもある。
なんというか・・・大衆という言葉を使っていいものかよくわからないものの、以前のようにあからさまにおかしな(時に差別的、偏見的な)デマゴーグが通用するような状況にはない(と思いたい)ものの、小泉氏が示してくれたものは、本質と外れた議論が通用してしまう不思議な絵の描き方があるということであり、心をとらえられると信じてしまいたくなる、そういうものが大衆、有権者、そして私もその一人だという事でもある(私が小泉自民党に投票したわけではない。断じて! しかし・・・)。


小泉氏は国民の投票行動が政策を左右することがあるという事を示したわけではあり、国民がその結果を受け取ることになるという事を示したわけでもあり、彼はある意味ウソをついてはいないと言う事も出来る(ウソだらけだと言うことも)。痛みがあると言ったのだから・・・。
さらに、彼はある種の困難な舵取りを強いられる状況で、常識的な(因習的な)方法ではできない矛盾の解消の仕方がある、さらに、責任のある立場にある者はそれをせねばならないということを示してもくれたわけで、しかしどちらが先か・・・ふと思うのだけれど、彼が財界よりで労働者を軽視したのは、より簡単に矛盾を解消することができるからにすぎなかったような気もする。あとは、彼の人脈というか何というか、有権者は彼の主張よりも出自を検証するべきだったのかとも思うが、後の祭りのようでもある。つまり、彼はとにかく、決断し、自分の負える範囲での責任を負う(つもりはあるとかなんとか)、それすら困難になっている状況を予見して、そうして、すべては過去になったというようなタイミングも・・・。
個人を保護して会社がつぶれてしまってはしょうがないだろうというような話、会社を国の経済とかいう話にしてもいいのだけれど、これは個人をつぶしてしまっては一体会社というものはなんだろうということにも一気になるし、そもそもそんな問題ではないということもある。経済の崩壊は、儲けている状態のほうが問題があったのであって、景気のいいときに搾取が容易に行われ、しかもそれらが再生産に使われるのではなく、浪費されたことが社会や産業を疲弊させたのではないか。
しかし・・・貨幣のたぐいがこの地球上で実体経済の何倍も存在するという話を聞いたことがあったような気がするが、大金持ちがお金を使おうとすると、貨幣の価値があっという間に下がるということであって、小金持ちや貧乏人の金はほぼ生み出した価値(これまた抽象的なのだけれど)や労働時間に比例して獲得されたはずが、そういうものと直接関与していない理屈で、(お金に交換してしまったばかりに)財産の価値があっという間に下がる可能性・・・。とんでもなく話がそれたが・・・しかし、こんなことは注目しなければしないで済むのか、そういうものなのだ、ということで・・・。・・・これは別に資本主義批判ではない・・・。


民主党の議員は、最近ことある毎に「郵政選挙」の時に自民党が作成した郵政民営化の利点をあらわした図を持ち出してそこで示された薔薇色の構図のひどさを指摘している。医療や雇用、国民生活の充実などは全く逆になっている。
郵政民営化はほぼそれらと関係がなかったとも言えるし、関係づけた政策をとらなかったとも言えるし、厚生労働省が継続してきた政策のために、それらは悪化の一途をたどったとも言えるし、派遣雇用問題の改悪の結果もあるかもしれないし、人口減少社会への対応がないとも言えるし(少子化問題ではない気がしてきた。馬鹿じゃあなかろうか、そんなことに今まで気付かなかった自分も)、結局は過去の栄光にたよっているだけではダメだということでもあり、小泉氏はそこまでは口にしていたけれど、実際に何かを変えることが出来るという事をいちおう示したし、痛みが伴うというあたりまえのことを示せたものの、それだけ・・・いや、何かを変えるときに国民がどう関わるかを真剣に考えねばならないという教訓を残した・・・? タテワリ行政の弊害というようなことを言われはじめてから久しい・・・バブルもその後だったような気がするし、それで本質から目をそらされていた気もする・・・バブルには私は関係がなく、むしろ忌々しいものとしか感じられなかったが・・・。バブル? その言葉のつかいかたは・・・


イメージにとらわれて実質を見失っているようでもある。


自民党というものがなかなか多様で、しかし既得権に手をつけるのはなかなか難しいのだろうなあという感じで、選挙ということもなかなかややこしいところで、支持基盤と有権者との板挟みで、当選したらまた違った位相が現れるというようなことだろうし、結局それぞれの政治家の行動はそれぞれコンプレックスの現れになるのだろう。
民主党は行政との政策のすりあわせを経験しないで済んでいるので、少し単純かも知れない。しかし、政権をとればいずれそうなるということも、ないわけではないだろう。それでも、政権交代の時点で行政は一旦阿吽の呼吸を失うのであり、そうした行政官というものの混乱につきあう民主党議員というものの手腕が問われるという感じもする。
まあ、やってみないとわからないということで、民主党に入れるという以外考えられないということかもしれない。


というのは、いつのまにか国政の話になっていたのであって、有権者は石原氏のハコモノ首都行政にうんざりしただけだという話もある。小泉以降、うまみは大都市圏に集中していて、しかし、都民に還元されず(そうはいっても逼迫する町村区、郡部にくらべると厚遇されていたような気もするとともに、しかし地価、賃貸も含む不動産の高さは・・・)、建設業者の衰退を防ぐ受け皿になっていたようでもある。そんなことをぬけぬけと続けた石原氏、そのひとに投票した都民、小泉さんと国民の関係にちょっと似ているようであり、国政選挙はもっと多様になるとは思うものの、そういう意味では似たようなことが起こるかなあ。




あ、なんか解散するみたい。