金田伊功さん追悼

金田さんといえばゆがんだ極端な「金田パース」と、ガニマタ、細い手足を極端に曲げる「金田ポーズ」というような表現で知られる、という表現がある。
パースが極端になるというのは、カメラが対象に極端に近づいているということであり、実写などでは考えられないほどカメラが高速で動くものに近づいて、というか複数の対象が交錯するただ中にカメラが、というか、映像を見ている主体が引きずり込まれる、しかも、ときには視点も移動し、各対象も移動する。対象と視点との距離の変化による映像のなかで対象の占める割合、大きさも極端に変化し、画面から一瞬消えてすぐ戻ったり・・・やはり対象が極度に近いからだ。その、カットのなかの短い時間に現れるめまぐるしい変化、情報の多さ・・・。
カメラが近づくと危険な速さのものに想像力は接近できるし、その交差するただ中にいることもできる。驚異的な想像力・・・カメラが動くと、背景も止め絵では済まなくなる部分がある。かなだよしのりの頭脳はそれを脳内に展開することが出来、その一部を少しずつ取り出し鉛筆の先端によって紙の上に定着することが出来る・・・。
CGであればある程度の対象への接近もできるし、パースがゆがむのは180度に近い視角を限られた画面の中に投影する魚眼レンズのような必要性のためだから、それに近いCG内仮装レンズをつくればいいようでもあるが、それでは観客は早い動きにあるものを視認できない。ある種コマおとしのリミテッドアニメーションゆえの、その限られたコマ数で動きを印象づける、端的に言うとディズニーのフルアニメーションとは違った限られた条件を逆用したような要素・・・印象に残したい部分を取捨選択して大きさでも、時間的にも強調するように描くテクニックが用いられいてる。と、いっても、金田氏のものは細かく撮影した(2コマ)ものが多かったりしたのかも知れないけれど・・・。
また、ディフォルメされるのはそのカットだけではなく、キャラクター設計も手塚治虫あたりを典型とする記号的なキャラクターで、その時その時の一瞬のゆがみも変形されているのであり、写真に撮ったように正確に描くよりも強いて言えば取捨選択、変形して描く絵画の伝統の方に近く、その点でもCGなどとは違う現場で生まれた想像力ではないかなどと思ったりもする。もっと自然な表現であってもそういった要素はあるのだけれど、しかし、実際にハイスピードで似たように実現したCG空間の連続してしまう表現ではできない、ある種表現が整理された明快さがあるだろう。
何か腰砕けというか、支離滅裂な表現のような気がする。さらに、金田氏はアニメーションからゲーム制作の現場に活動の場を移していたようで、そうするとCG云々の話の説得力は薄れるような気もするが。
さらに告白すると、金田氏の表現といって思い出すのは実はたしか山下将仁さんの描いた「うる星やつら」テレビ版であり、本人じゃない。金田氏本人だとナウシカの空中戦で、彼の典型的な表現ではない。監督作品「バース」も観たが、あまり覚えていないのだけれど・・・。


思い出されたアニメーターの名前、まずは大塚康生さん、次いで宮崎駿さん、友永和秀さん、板野一郎さん、庵野秀明さん、山下将仁さん、谷口守泰さん。あとは、訃報を知ったミクシィの日記では小松原一男さんの名前が。そうだ、なかむらたかしさんと森本晃司さんも。
上記に手塚治虫さんの名前を出したのだから虫プロ系統のようでもあり、ナウシカに参加したのだから東映動画系のひとを思い出してもいいようでもあり、とにかく動きが印象的だったひとたちのようでもあり、私がアニメファンだったのは、作品の中でもことに作画、しかも先鋭的な(と、いってもあくまで日本マンガ的な)表現に惹かれていたためだったことを思い出した。


あとは、アニメーションの制作環境が未だ混沌の中にあって強靱な表現を編み出したと言うこと。芸術という言葉など、彼の脳裏に浮かんだことがあったかどうか。そう思うと、我が身が何か薄汚いもののように思えなくもない。


7月21日夜に心筋梗塞のため57歳で亡くなられたそうだ。