「もっけ」2

もっけ 9 (アフタヌーンKC)

もっけ 9 (アフタヌーンKC)

この手の・・・妖怪もの? は得意ではないはずだ。私は。とはいうものの、水木しげるさんの作品は好きだ。「蟲師」も途中まで買っていた。


いちおう世の中の悪いことのほとんどはコミュニケーションの不具合から生じる。地球温暖化もそうだ。人間が相互のコミュニケーション能力をうまく使えなかったので問題を解決できないその現れの一つだ。地球温暖化がカタストロフに至るかどうかはわからないが、様々なスケールで起きる惨事の多くは防げたはずだとか。
・・・そうかな?


それはともかく、科学的、少なくとも私なんぞが知っているレベルの平坦な空間(形容矛盾?)での常識的発想では、個人の問題も社会の問題も人類や地球規模の問題も解決できない・・・風呂敷でかい・・・。とはいえ常識的なことも出来ない自分を発見しその事実に打ちのめされている私にはそんな事を語る資格も何もないのだが、しかし、そんな私という問題も含めるからこそ。
あたりまえのことをちゃんとやってりゃなんともない、の、だけれど、あたりまえのことがしっかりもなにもぜんぜん成り立たなくなる空間。そういうことを前にせざるをえないこと。
私の場合は自分そのものが問題になるなあ。空間というか、点として何の意味もないのか私は、ない方がいいのか、私という点がないほうが空間はエントロピーの増大を遅らせられるのか、ということでなぜか天理教の話を思い出してしまったが、ただ思い出しただけ。


ああ、なんでこんな話になるのか。


というような誰でも持つような悩み(ウソ)、やはり私たちのいるような4次元空間(時間も含め)のなかに整然と分子を並べたような空間的理解を持っていては解決しないのだろうなあ、5次元か、そこからのあらわれである勿怪のようなものがあらわれてようやく筋が通るのではないか。
と、いうこともマンガの本筋にほぼ完全に無縁。


脳細胞が精神と呼べるようなものを維持しつづけている(PCのメモリがデータを保存したりし続けるように)のだろうが、ひとたび精神が活動するとそんな物質性とははなれ、抽象的ななにものかを想定してしまっていることを前提にしてしまってそこを基点に動いたりする。少なくともそういうひとがいる。ていうか社会とか会社とかいう概念が・・・。
と、いうこともマンガに関係がない。現段階では。


で、しかし、それ、多くの概念は合理的なようでほぼおおむね非合理的なのだなあ。多くの主張はほぼゴミだ。そんなことは当たり前で、わざわざこうして書くことも恥ずかしいことだ。合理的に生み出されたはずの概念も、結局は非合理に振る舞う、など。
勿怪がいるほうが、ちゃんと筋が通る。そんな筋が、このマンガの中ではすうっと通っていて、しかもかなり平易で、堅実で・・・。


4年前にこのマンガについてこのブログに書いていた。ずっと読み続けた・・・。
(意味不明でした)