父が消えた

というのは尾辻克彦さんの小説のタイトルだ。
この作品で、尾辻さんは芥川賞を受賞している。尾辻克彦さんというのは、赤瀬川源平さんがブンガクの作品を書くときにつかっていたペンネームで、今はもう使っていないか、ほとんど使っていないかだろう。


この小説の入った単行本を、4月か5月から、探すでもなく探していて、やっと今日(9/6)見つかった。
なぜこの本を探していたかというと、3月に私の父が亡くなって、ブログにそのことを書こうと思っていて、タイトルとして思い浮かんだのがこの言葉だったからだ。そんなふうに思い出してしまったからには、読み返さなきゃ、と、思っていた。そして感じたことを書こう、と。
その頃はまだ私は働いていて、父が亡くなる前の看病づかれに、葬儀のあとの父の家を引き払う片づけなどと平行していて、疲労困憊していた。パートなんだから機会を見てまとまった休みを取れないかと思ってうまくいかず、常に締め切りに追われていた。その不満の表し方が悪かったのでその後会社を辞めることになった、と、書いてしまったが、それだけではない。
そんな日々がウソのように、というか、そんな日々の反動で何もしたくないこともあって、何もしていない。就職活動に熱が入らない。
それでもすることは山ほどある。少しずつでもやったほうがいいのだが、何かものすごく、少しずつしかできない。畑を耕すのと、屋根の錆びてしまったところだけペンキを塗る(そんなための特別なペンキをホームセンターで見つけた)とかいう事はした(これは普通はしないことか・・・)。収穫して食べたりもした。
楽器に関しては普通に、ただしつきあいや演奏会の参加は今まで以上に多くやっている。これは、流されやすくなっているのと、今年前半は唯一の逃げ場所で、今は時間があるからなのだけれど、本当は他にもすることはあるのだが・・・。
作品制作、もう5年以上、思うようにやった覚えがない。忸怩たるものがあったのだが、その感覚も薄れてきている。せっかく時間があるのに、ダメっぽい。


先日、知人の家に行って、「私はダメ人間ですよ」と、いったら、「俺の方がひどいよ」と、いう言葉が返ってきた。
次の日、「苫小牧ダメ人間の会」をつくろうかと考えた。しかし、これは難しい・・・。


何よりも家の中を片づけたほうがいいのだが、ずっとそう思い続けていて、2年前にはいよいよ片づけないとダメだと思っていたのだけれど、その後もほとんどしていなかった。
春に父の荷物の多くをとにかく運び込んで、それ以前からひどかった家の中は絶望的な状態になった。
畑と、マンガと、もうひとつ、私の趣味は料理かな、その料理、目玉焼き一つでも今年この家で作っただろうか。カップラーメンくらい。
ゴミ屋敷とか、片づけられない症候群とかいう言葉がうかぶ。世の中にはそういうことがあるらしく、私はその極端ではない例なのではないか、と思う。あとは、アルコール依存症のごく軽いヤツとか、うつ病の軽いヤツだったのではないか、とか、睡眠時無呼吸症候群は重くはないけれど軽くもないのではないかとか、大腸のはたらきは悪くて、神経性大腸症候群というものがあるらしいとか・・・。
数年間のどこかで徹底的にとか、逆に少しずつやったりとか片づけていると、いろいろ普通に精神の状態にも良かったのだろうし、ひいては身体の健康にも良かったと思うけれど、しなかった。


最近やっとなんとか少しずつ手を付け始めたが、その数年以前のことも残っていた。ここに引っ越してきてからもう13年ちょっと過ぎたのだけれど、その時の解いていない荷が、マンガだらけの部屋に転がっていたような気がして、もしかしたらと思ったらその中に「父が消えた」が入っている本の束がすぐ見つかって、こんなものを書き始めてしまった。


そうして、言い訳を書いている。あとは、現状認識が、なぜかそれを基点にすすんだからと、いろいろ自分のことを書き始めてしまった。


が、本当はタイトルは「父が消えた」で、そのことを書こうと、何ヶ月も前から、折に触れて思っていた。ほかのタイトルにしようと思ったこともあった。本が出てこないので。
「父の家」というタイトルもあった。「家族の夢」というタイトルで、父のことも書こうとしたが、書かなかったような気がする。何を書いたのだったか。




と、いう文章、自分でもよくわからない思考の軌跡を、ここまで読んだ人はいるのでしょうか。
そんな人には申し訳ないので、私は貧しいのでたいしたものはダメだけれど食事をおごりたい、くらいの気持ちはあります。が、気持ちだけ取って置いてくれると助かります。