父が消えた 2

昨日は(日付は同じなのだけれど)ずいぶんひどいことを書いてしまった。
内容がひどいというか、ある意味まったくひどいのだけれど、書き方というか、書く姿勢というか・・・つまりは読む人のことを考えていないのであって、読む人には本当に申し訳ないようなものだろう(とは思うけれど、実際にそれがどういう感じなのかはよくわかっていない)。
こんな変なことを書いている人とごはんをいっしょに食べたいとは思わないだろうから、最後の段にはいったい何を書いてしまったのだろうと思う。しかし書き直したり削除するのはやめた。


この内容は自虐的なのかもしれず、自虐の裏側にはナルシスティックな要素があることを見逃さない方がいるかもしれない。そうか?
何か思いついたことを全て書かなければいけないような感覚があるのであって、アルコールがそれを促進するのであって、アイデアスケッチのようなものだ。しかし、そうするとスケッチの先に何かあるのだろうか。メモか。いったいなんのための。公開する必要はない。が、そうだと書く内容が変わるのではないか。
そのほうがいいのか、とも思うが、人に見せないで書いていた文章のひどさはこれに数倍していたのであって、そんなひどい文章というのはいったいどんなものか、これはとても見せられないのだが、取ってある。と、書いては見たが、ひどかったと思った感覚だけしか覚えていない。たぶん人の目に触れることはないと思うのだが、出かけた先で私がうっかり死んでしまったら、触れる可能性がある。



父の家は、私が中心になって片づけた。捨てたものよりも残してしまったものが多い。それでも、私のがらくたにくらべると、何分の一しかない。その何分の一が本当に大変だったので、私が死んだらどれほど大変なことだろう。まだ死ぬわけには行かないが、でも、死んでしまったらどうでもいいのか。ちがうか。
その何分の一かが私の家にやってきたのだけれど、大変で、運んだだけで疲れ果てて、ほとんど手を付けていない。
父が家族と別れてひとりで住むようになったのは15年くらい前だったろうか。私はその後に挫折して実家に戻ってきた。しばらくはある理由があって交流が多かったのだけれど、うっとうしかった。そのうち連絡もなくなった。
あんな父でも一人ではあまりに可哀想な気もしたので、なんとかしようと思ったが、それが実行に移されることはなかった。妹とは時々連絡を取っているようであったし、そのうち、と、思っていたのだが。


驚いたのは、父が家を出るときに持っていったものが思いのほか多く、おそらくそのほとんどを捨てることはなかったのだろうということだった。
私が子どもの頃からあったものがいくつも出てきて、私が高校生時代に使っていた茶碗などがあった。なんでそんなものを持って行ったんだ。
昭和40年代、ふたのついた缶が余ったりすることは、何かの容れ物に使われるのであまりなかったのか、それを手に入れると子ども時代の私は大切にしたのだろう。いや、そういう缶は邪魔になるので嫌っていたのに、私が取って置いたのかも知れない。そのうちのふたつくらいまで出てきて、中にはわけのわからない石ころなんかが入っている。
父は一度引っ越しをしていて、そのときにもそんなものを捨てないで運んだのだ。そんなものは、ほんの一例で、そんなものばかりたくさんある。


そんなものの扱いは、取っておくにしろ、捨てるにしろ、すぐに決めて、うまく片づけさえすればいいのだろうが、それができない。父の家の中でも、ものはそんなふうに片づけきれない形で収まるでもなく置いてあった。私の家はもとからそれより数倍ひどかったのだが、そんなものが加わって、惨状は極まり、なかなか改善されない。
私が片づけなければならないのはそんな「もの」だけではない。
なんとか少しずつ片づけようとは思うのだけれど、散らかることの方が多いので、困っている。