私は誰だ 8

コンピューターのモニターに向かっている時間、それがまずいようではある。
気になっていることはある程度書き留められるものの、その間に出来ることを遅らせているし、書き留めたことの散漫さはひどい。ひとつの段落の中でいつの間にか書きたいことが変わっていて、今もあぶない。変わってしまった内容をそこに書いてしまわなければもっと読みやすいのだが、その前に何を書こうとしていたのか、すでに忘れている。
いすに座って、足が冷たくなる。エコノミークラス症候群じゃないか。脳に血液がまわらなくなるんだ。あるいは酸素が足りないのか。すぐ息を止めてしまう癖があるし、息が止まって目が覚めることがある。食事の前後に思考力が低下することは、低血糖なのか、低血圧なのか。いずれにしろ、私の海馬は小さくなってしまっているのではないか。


大きな問題に取り組んでいるつもりで、小さな事に大きな事との関連づけをしてしまっているだけだ。悪いか。いや、大きな事に取り組んでいるつもりはない。小さな事には大きな事がつながっているんだ。などと・・・身の周りのことが出来ないのに。


第三世界(なんだそりゃ)の貧しさと私たちの(物質的)豊かさとは関係があるとか、何かそんなことをいい気になって考えていた。
国旗をかかげねばならぬとか、国家を歌わねばならぬなど、お笑いぐさ、そんなくだらないことにやっきにならねばならなかったり、そんなことで権力を振り回したり、そんなことで処分を受けて労働の対価を減らされたり、ばかばかしい。昭和のヒーローの兄でブンガクでも有名だった秀才がそんな権力を振り回すとは、(どこまで彼に関わりがあるのか知らないが)ばかばかしいにもほどがある、が。こんなことを書いて、私の知人がここにリンクしていて、とばっちりを受けたりしないだろうか、とりあえず、こんなことは、私が一人で考えていることで、ここを読む知人とはこんな話しなど一切したことがないことは書いておこう。
こんなことは、思っても書かない方がいいのか、そうではないのか。
そういえば、公務員の組合も含む労働組合の連合組織が政権与党の支持団体のひとつになったのだな。しかも、けっこう有力な団体のひとつかもしれない。とはいえ、勢力が衰え、主張がトーンダウンしてこそ、ということはあるかもしれないが、別に労組、教組を応援したいわけでもなく。いや、ちゃんとしているなら労組は応援したいのだが。


彫刻をつくったり、楽器の練習をしたり、仕事の行く末を考えたり、家を片づけたり、しろよ、と、思う。やることは山ほど、普通の人よりずっとたくさんある。上の4つに当てはまらないことばかりしている。庭をなんとか、しなければならないので、それはやっているのだけれど、上の4つほど緊急ではなかったかな。でも・・・。




とはいえ、やっと何か頭がすっきりしてきている感じもある。なにかに振り回されている感じがしないこと、こんな文の内容はわけのわからない考えに振り回されている姿そのもののようだけれど、少しずつ、自分を振り回している過去の自分の考えの複合体(コンプレックス)の正体が分かってきているようでもある。
複合しているものを切り離せられれば、思考がふらふらしにくくなり、考えも、行動も自分でも、または周囲からも理解しやすいものになるかもしれない。