バルトーク「ルーマニア民族舞曲」

初めて聴いて以来、飽きたことがない曲、かも知れない。


楽譜もいろいろ買った。
最初は、たぶん20年くらい前にゾルターン・セーケイ編曲のヴァイオリンとピアノの版を、弦楽版が売っていないので、買った。セロで5度下の音で弾いて、幸せを感じた。木の音。
次に、ピアノの楽譜でこの曲が入っているものを買った。ここからアンサンブルに編曲しようとして、この中の何曲かの楽譜をつくった。みんなでちょっと弾いてみたけれど、どんな感じだったか忘れた。この楽譜は4、5年前に買ったと思う。
弦楽+α版・・・弦楽合奏に管が加わっている・・・のポケットスコアが最近は出回っていて、買おう買おうと思っていたら、今日、家の棚にあるのを見つけた。いつの間にか買っていた。1年かそのくらい前に買っていたのか。記憶力の衰えのひどさ。


その弦楽+α版が、初めて聴いたこの曲で、FMラジオで聴いて、エアチェックした。オルフェウス室内管弦楽団のものだったと思う。ちがったかな。学生時代。当時、オルフェウス室内管弦楽団は札幌に来て、指揮者をたてないアンサンブルで、印象的だった。札幌ではこんな曲はやらなかったと思う。モーツァルトのディベルティメントかチャイコフスキードヴォルザークの弦楽セレナーデか、そんなようなプログラムだったんじゃないか。
オルフェウスの、チャイコフスキードヴォルザークのCDを買ったような気がするけれど、ずっと目にした覚えがない。気のせいか。ドヴォルザークの弦楽セレナーデは、高いスコアを買ったのだけれど、なくしてしまった。大学の部室においてきたと思って(なんのために?)15年位してから行ったときにちょっと探したけれどなかった。斉藤秀雄さんの「指揮法教程」もおいてきたと思ったんだけどなあ。余談。


部室といえば、私はオープンリールのテープデッキも置いてきた。父親が買ったものをかっぱらって持っていったのだが、札幌に運んだときにテープを固定する回転軸を少し曲げてしまった。使えることは使えたのだが。さすがにもうないだろう。
と、いうことを、先日リサイクルショップでオープンデッキを久しぶりに見つけ、思い出した。余談。


今日は見つけたスコアから、1曲目をパソコンに打ち込んでみている。できたらパート譜をプリントアウトして、全パートを弾いてみよう。マンドセロで。よく考えたらスコアを見てそのまま弾けばいいのか・・・


大学を卒業してから6、7年後に楽器と再会、ひょんなことで道内の団体がこの曲をやったという話を聞いた。うらやましいと思った。聴きに行きたかったなあ。数年前にはギターとマンドリンのデュオで、聴くことが出来た。ちょっと音が小さくて聞き難かったような気がするのが残念。しかし演奏の記憶は薄い。とはいえ弾いていたステージ上の様子が思い出せるけれど、そのくらい印象深かった。


今打ち込んでいる1曲目、同じメロディーが少し形を変えて繰り返されるところまで、メロディーが変わっているのはほとんどリズムだけなのに、伴奏パートの和声はかなり違っている。その和声の展開の仕方が、森に踏み込んでいくようなゾクゾクとした感じがして、ちょっと言い表せない幸せがある。
このスコアの解説にはメロディーは「ラの旋法(自然な短音階)」だと書かれていて、楽譜上はイ短調のようだけれど、ちょっと違う。機能的和声法から離れた和音付けをしているらしく、私が長年機能的和声法を目の敵にしてきたことが正しかったと思わせられる。しょうがないくらい機能的和声だらけの世の中・・・。
その機能的和声法の音楽が、私自身の感覚には染みついていて、そのことは、自分はつまんない都会で生まれたな、なんていう悔しさのようなものと似ている。
バルトークが素晴らしいのは、機能的和声も当然のごとく知っているはずで、決然としてこんなふうに音を響かせることを選んだことだ。機能的和声に慣れた耳に違和感が拡がる間もなく、あっという間にこの聞き慣れない響きに惹きつけられた感じは忘れられない。一瞬で魅せられた。


心に風が吹き始める。森に音が響き始めるような感じがする。仲間たちのために汗を流す人たちの声が響く。
それを、20世紀に響かせた、しかもそれは同時にベートーヴェンブラームスが磨き上げた作曲技法の技の洗練をも引継ぎ、そこに新たな展開すらもたらしている。ブーレーズすら、評価しないわけにはいかなかったであろう洗練の極み(じゃあないだろうかと私が思っているだけかもしれないが)。
それは何かを懐かしんでいるのではない。まさしく、今生きている音だ。歴史は、一般のイメージでとらえられるような物語ではなく、人々が生きてきた事実であり、それは決して滅びないことを証明したというような事ですらあるような気がする。
20世紀前半の絶望の響きでもあり、しかしその音からは、希望を見いだすことができる。


なんて、これじゃあいくらなんでも大げさすぎるだろうけれど、間違った言葉を使ってしまっているとしても、間違ったことは書いていないと思う。

バルトーク:管弦楽曲全集(1)

バルトーク:管弦楽曲全集(1)