谷本一之さん死去

谷本一之氏は私が大学生時代の、私の大学の学長さんだったと思う。7月に亡くなられていたことを最近知った。
私は氏が翻訳したバルトークの研究書を持っている。その関係でふと思い出してネットで調べたら、亡くなられたニュースが出てきてしまった。
私が在籍していたのは、北海道各地にある当時の「分校」のうち、美術、音楽の芸術2科目の特設科があり、関係研究室、教官、もちろん学生も他の分校より多いところだった。学長でもあった事だし、谷本先生は音楽科のボスっぽい認識があった。ちなみに芸術系学科は移転してしまい、私の出身校にはもうなくなってしまった。関係はあまりないが、一抹の寂しさを感じる。
音楽科と美術科のちがいには、美術科は貧乏な家からでも入れるが、音楽科の場合はむずかしいという感じもあった。私の家は全学でもかなり貧しいほうであった上に、バイトなどの努力もあまりしないタイプで裕福なひとたちに少し劣等感を抱いていた。そんな劣等感を抱く自分にも劣等感を抱くという二重劣等感。貧しくて魅力的なわけではないので、豊かでも魅力的にはなれなかったであろうし、劣等感を持つにふさわしい人間だったかも知れない。人間としての魅力に欠けるのだけれど様々な才能に少しずつ恵まれていて(自分で書くな)、なんでお前みたいな人間が、という不当な風当たりを感じる日々だった。今もまだそんなことはあるなあ。どこを直せばちょうどいい感じになるのか。
そんな学校でクラシック系の(だと思うのだ、いちおう)音楽サークルに入っていて、ちょっとだけ便宜を得たのは演奏ボックスを利用できた事と、図書館の本だったろうか。とはいえ、アドルノの著作が何冊もあるのを眺めただけだった。あそこにあった本のうち、「不協和音」は、買ったのだろうか(忘れてしまった)。芸術評論(?)をする思想系の著作者に関心を持った。後にベンヤミンへの関心にもつながるのだが、とはいえそれは私に深く影響を与えている訳ではない。「楽興の時」なんて本もあったような気がするが、あの本たちを入れたのは、谷本先生かとも思ったが、今、ふと。


北海道には今も芸術学部を持つ公立大学はなく、教育大学のその二つの学科がぼんやりと北海道の芸術の中心のような、そうでもないような役割を果たしている。正直言うと、それほどたいしたことはないが、美術のほうが、よりたいしたことがないかなあ。と、思う一つに美術科には谷本先生のように活躍された人がいるのを知らないからでもある。学生時代ではなく、今そう思っているのだが。音楽科には作曲の先生が新しくいらして、FMでその方の曲が放送されているのには驚いた。卒業してしばらくしたら、東京のマンドリン団体がその先生に委嘱していて、またちょっと驚いた。
自分にもっと才能があって、バイタリティがあったなら、美術も、音楽にももっと積極的に、音楽では例えば作曲のクラスを聴講させてもらうような学生生活を、送ってとか・・・今ふと思い浮かんだ妄想だ・・・。


そんなことではなく、そんな人たちが北海道にいることと、北海道民はあまり関係がない事に驚く。
谷本先生の経歴を少し読む。PMFにも関わられたらしい。関係あるなあ。言語学者の故知里真志保氏に師事し、アイヌ民族音楽の研究に取り組まれたらしい。北海道の深いところと関係があるが、そんなことに誰が関心を持つのだろう。
一年半くらい前、私はアイヌの歴史に関する本を読んだ。なんで今頃になるまで読まなかったのかという反省。さらに、谷本先生の研究の成果には、上述の訳書以外触れていない、アイヌ民族音楽の研究をされていた事もほとんど印象になかったという事が、何のための学術機関か、という連想にもつながる。
でも、まずは私だな、何やってんだ。