ドビュッシー

最近ドビュッシーが気になっている。「映像」と「版画」がたしか入った高橋悠治のピアノのCDを何度か聴いた。音楽はほとんど聴かなくなっていたのだけれど、最近少し聴くようになってきた。同じものを何度も聞くことはめったにない。
頭の中で鳴っているのは、「アラベスク」の1番が多い。マンドリン重奏用にしようとちょっと楽譜にしている。というように手をつけただけの曲がありすぎる。マンドリンの世界では「小組曲」が取り上げられることが多く、6人編成のものを聴いて、やっぱりいいなあと思った覚えがある。


最初に気になったのは大学の寮の先輩が弾いていた前奏曲集のなかの、「沈める寺」。ぼろぼろの建物の寮の、食堂の前のほとんど外に近いような集会室にあったピアノを、夜な夜な弾いていたのだ。ほかにはストラヴィンスキーの「ピアノ・ラグ・ミュージック」。うまくはなかったと思う。社交性に欠ける人で、私もそうだったが私の比ではなく、しかし面白い音楽をやっているなあと思ったので、ときどき遊びに行って話をした。が、話はあまり弾まなかった。私も汚い格好はしていたが、風呂には入っていた。先輩はちょっと風呂の回数が少なかったのではないか。ちゃんと生きているだろうか。ひとのことは言えないが。
それ以前にももちろん耳には入っていて、小学生の頃に深夜近くラジオを聴いていて、コマーシャルが入るべき時間つぶしに(?)「パスピエ」がかかっていたのを覚えている。それを聴くたびになんとも寂しい雰囲気になった。


ピアノ曲の次に意識したのはオーケストラ曲、「牧神の午後への前奏曲」。マンドリンクラブに入り、クラシック音楽にも興味を持ったが美術で少しは前衛にかぶれているのでハイドンベートーヴェンなんかは×。20世紀音楽に一直線。ただし、芥川也寸志の「音楽の基礎」をガイドブックにストラヴィンスキーバルトーク、武満、ついにはケージまで。高橋悠治がバッハとサティを弾いていたのでバッハは聴いた。モーツァルトのジュピターは酔っぱらって聴いて気に入った。サティはそもそも大学受験時に好きだった女の子が聴いているという話があったせいもあって気になっていた。いちおうは美術なんかやっていて、センスがいいのがかっこいいと、そう思うとかっこわるいのでそう考えてはいなかったが思っていた。
「牧神の午後への前奏曲」は、眠れないことが多くなっていた頃、最も良く聴いた。ラジオから録音したものはカラヤンだったかブーレーズだったか、演奏がきれいすぎて眠るのに良くないと思っていた。「春の祭典」なんかよりは耳になじんだ。同じドビュッシーの「海」は、最後盛り上がって終わるので、困る。それより、整然としていて、「牧神の午後への前奏曲」のような自由な感じはないのではないかと思っていた。
「牧神の午後への前奏曲」はとんでもない曲だと思う。サティはしかし、どう思ったのか、「天国の英雄的な門への前奏曲」なんてタイトルの曲を書いたんだろう。こちらもすごく好きなのだが。
武満徹が影響を受けたり、参照した(?)のはバッハとともにドビュッシーだったようであり、「グリーン」なんかを聴くと、「牧神の午後への前奏曲」の残響を聴くような感じがする。


またピアノ曲にもどるけれど、「月の光」は好きだったなあ。武満徹が「レントより遅く」の楽譜を作曲するときに持っていっていたというのを読んだなあ。でも昔はそれほど好きじゃなかった。今聴くと良いかなあ。ちょっとラヴェルの「ラ・ヴァルス」を思い出した。「亜麻色の髪の乙女」も案外いいなあ。


美術の印象派というのは有名で、音楽ではドビュッシーが似たように言われていたようで、ラヴェル「鏡」なんかがそんな感じのような気もする。そんなのはこじつけだとかいうようなことを言っているひともいるだろうけれど、どうしても似ている気がしてしまう。美術の世界に風景画というのはあまりなかったのが、バルビゾン派印象派から一般的になった。ドビュッシー前奏曲集の自然描写に似たものがそれまでどれほどあっただろうか。「牧神の午後への前奏曲」は象徴主義なのかなあ、音楽はそんなふうには片付かない感じもするが。
とにかく、安直なのだろうけれどモネがドビュッシーで、セザンヌはサティやラヴェルだ。セザンヌプッサンにもどって堅牢な構成を取り戻そうとしたという。サティが戻ったのはあるいはギリシャにまでなのかもしれないが・・・。単にふわふわ、ぼんやりとしたうつろいやすい感じから、かちっとしっかり安定した感じになったようなイメージがあるだけだが。
また、音楽は構成しないと音楽に聞こえないだろうけれど・・・モネに構成が描けているというわけでもないが・・・。


ラヴェルも面白いのだが、ドビュッシー細胞分裂が続くような、印象派なのかどうかはわからないが、どこか自然の中にとけこみやすいような音の連なりからすると、整理された感じがする。サティの試みがやはりちょっと違った意味でラジカルでドビュッシーとどちらが遠くまで行ったかというとわからなくなるが、この二人に比べるとラヴェルは優等生的だなあ、という感じがする。違うのかなあ。


あとは、ドビュッシーの曲の明るさというのは類を見ないのではないか。でも、それ以上に感じられるのは風通しの良さかなあ。「戸外にて」というのはバルトークの曲のタイトルだけれど・・・。