音楽と構造

と、いうようなタイトルで訳のわからない文章を書いて、何かがどうなるというものでもないが、何かわかったような気になって忘れないようにしたい時に、自分用のメモに書くとあとで読むと恥ずかしくていやなものなので、いちおう人に向けて書くとその時点で恥ずかしいのであとで読むときに大丈夫だというメリットがある。
のか?



長調短調というものは普遍的なものでは全くない。それでも私たちが接する音楽には明確に、あるいはある程度、このふたつの色、哀調と、逆は何というのだろう、明調だろうか、がついているものが多い。実際はそれぞれの音楽に様々な色、感情的な雰囲気、手触り、雰囲気、重さ、大きさ、などがある(と、考えることができる)。が、そういった音楽の構造外の言葉で形容される表現内容的な要素と、構造が最も直接的に結びついているのは、長調短調という考え方において顕著である。
その違いは8度という言い方もするオクターブの中を平均して12に分割し、その刻みの2つのものと1つのもの、2種の長さ(?)が入り交じった長、短の度(?)として7つに分割し、低い方から長、長、短、長、長、長、短と分けたものが長調、長、短、長、長、短、長、長という形で分割したもので・・・という言葉での記述、明らかに間違っている部分があるような気もするし、他に書いた方がいいことか、あるいは書かない方がいいことがあるような気もするが、どちらにしてもなんとまだるっこしい書き方になってしまうんだろう。そういうややこしい、音階・・・このように12を7で分割し、短い度(?)と長い度(?)の並び方が、短い度と長い度の分布が均等になるようにということなのかわからないが、ふたつの短い度が二つ続いたり、その二つの短い度の間に長い度がひとつしかならなかったり、する並び方は採らないことになっていて、長短の並び方は基本的に一つ(なので、ピアノの黒鍵と白鍵の並び方はみんな同じだ)なのだけれど、しかしその並び方のなかの、どの音から数え始めるかで、7種類の音階がある。
これは、イ長調とか、ハ短調とかいう話ではない。その7種の音階のふたつが短調長調なのだ。ほかの5つは、短調でも長調でもない。7種の音階のそれぞれにフリジア、リディア、あと、なんだっけ、などというような呼び方があるらしく、そのうちの2つを主に使おうとしたのが、調性の確立、といえる。こういった音楽の基礎を確立したのはバッハなのだれけど、この調性を哀調、明調を持った性格的な要素を重視した形で、つまりは感情の明暗の性格を強調した形を基本として使ったのがいわゆる古典派、ハイドンモーツァルトベートーヴェンを中心とした時代、人脈に顕著な傾向であり、ある種の西欧的な考え方の特徴的なひとつである二元論というか、二項の対立で世界をとらえる仕方を最もよく反映した音楽の傾向だと考えられる、って、何書いてんだオレ。
古典派に顕著なのは短調長調の性格、感情的な色彩の対比だけではなく、音量の大小(高低?)、の対比でも極端なふたつの性格が存在することを強く意識し、その「交代によって」変化を感じさせる要素が強い。ハイドンというと思い出すのは「驚愕」シンフォニーで、その対比を最もあからさまに効果的に使ったことで知られているようでもある。


上に7つの音階があると書いたけれど、ほかの5つはあまり使われていないことになっている。少なくともハイドンモーツァルトではほとんど使われていないという言い方ができなくもないだろう。ベートーヴェンはよくわからないが、たぶんほぼそうだろう。シューベルトシューマンは飛ばしてブラームスは、その基本に忠実でありつつ、二項対立ではとても片付かないような複雑な心の置き方を見事に定着したと言えるかもしれない。この6人、ウイーンという町を無視してつなげられないなんていう話をついつい思いついてしまうのだけれど、クラシック好きの人にはこの時代の音楽技法とそれにともなう内容の変化の輝かしさに目がくらむような魅力を感じるのではないか、なんてことを考えた。
古典派とロマン派という、後世からするとある種対立するようで、それはロジックにそった見方に過ぎず、全くそんなわけがないそんな区分けに意味がないわけではなく、二項対立、それに基づく構成というキーワードからすると、ハイドンブラームスが似ていて、振り子のような対比を感じさせる。モーツァルトベートーヴェンがそこから逃れていくような遠心力を感じさせ、シューベルトシューマンはそれぞれ違った形で二項対立でも単なる遠心力でもない、より多様な自然や人間の感情の不規則な要素、抽象的ではなく感情的なヒューマニスティックな要素を感じさせてくれる。
ベートーヴェンの方が感情的だろうか。あるいは、ハイドンモーツァルトの疾風怒濤が・・・? とすれば、シューベルトの感情というものはベートーヴェンなどのように極端なものではない、細やかなものなのではないか、とか・・・。


ただ、これはウイーンを巡るあたりで起こった人類史上まれに見るダイナミックな、濃密な、音楽技法と、それを使って表現されることが深く伴い、可能性が開かれていった変化で、音楽の歴史の中でとんでもなくまぶしい輝きだけれど、そうであったにしても、ある意味ではちっちゃなことである。
ちょっとドイツの田舎の方の、ちょっと昔のバッハおじさんのことをモーツァルトベートーヴェンも熱心に学んだ時期があったと読んだ気がしたが、その記憶は定かではない。バッハに細やかさはあっただろうか。疾風怒濤にしても、バッハから始まっていたかもしれないが、その後ハイドンモーツァルトの曲のように、小節構造が2の倍数できれいに整理されてしまうことや、バスの和音と旋律が緊密になってしまうこともバッハからは予期できないのではないか、とすれば、では、なぜ?


とはいえウイーンのその頃は音楽の慣例というか規範というか、構造原理とかいうもののなかでも均整のとれた技法を形作った時代として記憶されているのであり、その象徴としてソナタ形式というものがあるのじゃないかと私は思っており、それと対照的な形は、カノン、フーガ的な複旋律で大楽節(?)構造などがはっきりしないもの、あと変奏曲、反復の形式が対比や回帰(?)要素ではなく、反復は反復だけれど、逆に変化が印象づけられるもの・・・「ゴールドベルク変奏曲」などは最後に最初と同じアリアを聴くことにはなるけれど、それにしても・・・。
時間の流れに沿った構成、記憶に印象づけ、そこからはなれ、また戻ってきてある種の安心感というか満足感というか、しっかり終わるなあという終止感を印象づけるというか、そのために長い時間を組織する、やり方、建築的で、抽象的で・・・。似たものとしては起承転結とか、序破急とか、があるのではないか。そんなソナタ形式
とはいえ実際のソナタ形式がなんなのかは私には今のところフーガ以上によくわからないものの、器楽演奏から発展した形式らしいのであり、しかしフーガの方がその傾向が強いか・・・。ロンド形式とのつながりがと大きいようでもあるし・・・実際に「ソナタ」と冠された曲は当初は現在で言うソナタ形式で書かれていなかったらしく、また実際には、ひとつあるいは少数の楽器のためのソナタのたぐいだけではなく、大編成の交響曲にもっともソナタ形式が顕著に取り入れられている(?)のではないかと、音楽に関する乱読したものを片っ端から忘れた残り滓の知識から考えている。


という古典派の小難しい感じ、と今は感じられるものも当初はわかりやすくするためにそうなったと思われる部分があり、それ以前のバッハの歌唱のない曲などに比べると、ハイドンなどでは旋律が明確になっているのではないかと思われる。旋律と伴奏がはっきり分かれている感じ。モーツァルトの8分の刻みなども・・・。その後発展(?)し、複雑化、巨大化していくものの、当初モーツァルトの後期の交響曲さえ難解だったという、宮廷人ではない聴衆、その人たちのために旋律を印象づける手法から始まったのではないか、とも思われる。器楽合奏の形式として、少し歌唱のメロディーに近い性格を強めたのではないか、音楽が、と・・・。
ルソーを思い出す。彼が確か啓蒙派と言われていたことや、わかりやすい旋律の音楽を書いていたのではないかと言うこと(単なる推測)・・・。ラモーとの論争が激しかったらしく、そこではラモーの和声学の本を安易だと批判したらしいが、その当時の世論というものがどんなものだったか想像は付かないものの・・・。
ふとなんとなく、ルソーという人の存在は、思想が、というか、思想家の言論活動がその後の現実に対して与えたインパクトとしてとてつもなく大きいのではないか、現在の民主主義何ということまでしても、というほとんど何の根拠もない想像を思いつくものの、それがなにか関係があるか・・・。
また、ヨハン・シュトラウスがどんどん政治に関係していて、現在の感覚からすると無節操な感じがする、さらに驚くようなこととして、どんどん政治に参加してどんどん死んじゃった音楽家がけっこうたくさんいたらしいとか・・・そんなことも思い出す。


あとは、パーセルからヘンデルハイドンという流れがあるのじゃないか、とか・・・つまりは劇場音楽が器楽合奏へと流行を移していく、劇場音楽の明快さが、器楽合奏のそれまでの形式に盛り込まれる、器楽的な微妙な表現に劇的なものが組み合わされて作られていった、象徴的な、交響曲というもの・・・。しかしどうしてまた、交響曲というものは大きくなったのか。大きいほど効果も大きく、観客席も大きくすればその費用もまかなえるから・・・?
それならあの表現内容というものは、どうしてああも劇的で激しいのか。



あ・・・何を書いているのだろう・・・昨日から書いていたのだけれど・・・・調性から始まって・・・。



音階の話で言うと、7つの音階以外に実は5音の音階もあり、それは民族的なものとして各地にいろいろあったりするはずで、ガムランになるとかなり違う種のものだったり、平均率でも12音階や全音の6音階、そうなると、音楽の形式にも関わってくるものであり、12音階や全音階以外は調性感がいろいろとあるようだけれど短調長調の対比ほど性格が極端になっておらず、普通に学んでしまう終止感も実はもっとバリエーションがある。なぜそんなものを特に特権化して、例えば日本ではそれ以外の音階を学ぶ機会が少ないということが、思えば奇妙なことなのであり・・・。
私が誤解していたことはといえば、その音階に完全に当てはまる音楽というものはむしろ少ないのであり、たとえばもしかしたら民族主義の時代のものは、違った力学の音階と、長短の音階を基本とした例えばソナタ形式などとのせめぎ合いのようなことなのではないか、それはたとえばブラームスでもすでに始まっているなど・・・。
さらに、民族音楽そのもの、それらは基本的な(?)学校で教えられるものとして変形される以前は、かなり違っていたであろう事、さらにポピュラー音楽というものがあって、世界中に広まってしまったそれのルーツに黒人奴隷たちが西洋の楽器や音階を手にしたことから生まれたハイブリッド音楽(?)であること・・・。
しかしそれにしても何らかの分析をされるときに西洋音楽の基本のヴァリエーションであるかのように分析されたりしてしまうわけで、ポピュラー音楽の楽譜や、歌詞の本などに付いているコードネームは音名のあとにメジャーが省略されているものと、マイナーの略を小文字のmで付されている形が基本に書かれている・・・まりは長、短の2種の和音があることを前提としていて・・・バークリー音楽院では、本来なら和声理論では説明できないはずのブルースなども、しょうがなく特殊な例として処理するなどして、すべて和声法のヴァリエーションとして説明してしまうらしいけれど・・・。


また、西洋音楽のメインストリームに取り上げられる、作曲家の名前が記憶されるようなものとは違った音楽、生活のなかの、音楽がとどこから始まったかと言うこと、労働の音楽、それも力を合わせるものと、野良などで気ままに歌われるものがあるか・・・って、そっちはなんでもいいか。踊りの音楽もあるし、歌もある。歌には詩吟のようなものをルーツに持つこともあるだろう。ギリシャの音楽は・・・あと、トルコの音楽、軍隊の・・・。
アフリカの、ある種言葉、通信としての音楽・・・というか、儀礼の音楽はそれ以外の音楽とかなり違っていたり、性別によって違ったくらいにしたり、そういうことを研究した人の本も読んだし・・・。最近はアラブの、トルコの行進曲ではない、ベリーダンスの音楽を聴いて、この果てしないような繰り返し、それもある種の音楽の構造で、共通点はないわけではないものの、かなり原理的、構造的に違う部分があるのではないか、ということを考えて書き始めたのだったけれど・・・。



とにかく気になっていることを書いておきたい・・・まだ残っていないかな・・・。


さらに長調短調と言うことに戻れば、音楽が、特に器楽音楽は絶対音楽という言葉があり、抽象的な要素が強いようだけれど、ある種の文学的な(?)あるいは感情的かもしれない「内容」が抽象的であるにもかかわらず盛り込まれやすい形が作られた、さらにはそれが音楽の基本ででもあるかのようにこんなと極東の国においてまで、たたきこまれ・・・ているわけではなくても、それしか知らない人が多いわけだったり、それ以前に耳から聞くものがかなり長調短調の音楽になってしまっていることで、おそらくは思考の形にも影響してしまっているのではないかと思うのだ。
とはいえ、ドビュッシーの音楽も、ハチャトゥリアンの音楽も聴いてきている。それらは全音階であったり、民族の音楽であったり、単なる二項対立で考えることとちがう原理を見いだしていたり、そんな理論的な整理の仕方からそもそも無縁だったりした力強い生命の息吹を持ち続けているものだったりするわけで、芥川也寸志は子どもの頃にストラヴィンスキーを聴いて育ったらしいけれど、私たちもドビュッシーハチャトゥリアンくらいは聴いてきていて、そちらのほうに耳をそばだてたりしながら育ってきている。あとはテレビドラマの音楽などでも・・・。
さらに、小泉文夫さんなどの分析によれば、歌謡曲の音階は多様で、たくましさをもっている・・・ 。
それはそれなりに私が今までもしてきていた認識ではあったのだけれど、さらに、例えばブラームスであっても、基本としてはハイドン以来の厳格な技法を極めつつも、同時にそこから逸脱するような衝動をも感じ、それらのせめぎ合いの中で曲を作っていたのではないか、しかし、それはヘーゲル的な考え方なのかなあ、私も止揚しようとしているのかなあ、というと、大哲学者ヘーゲルさんに失礼以外の何でもないのだけれど、そんなことも考えないでもない。
しかしやはり、これからの音楽は、20世紀にやりつくしたかどうかはしらないけれど、何か新しい考え方とともに育ってほしい、音楽も、なにかそういう形で取り組んでいきたいと思うのでもある。