スーダン、ダルフール紛争、暫定停戦と、イラク戦争

スーダンで、ダルフール紛争の解決に向けてようやく動き出したようだ。
NHKのニュースで数日前に見つけ、昨晩おそくmixiのニュースにも見つけた。
暫定停戦に正式調印、とはいえ、20派以上ある反政府組織のうち4派だけしか前向きではないそうだが。


とりあえず、近年起こったなかでは最も大きな人的被害をもたらした戦争、紛争というのはこのスーダンダルフール紛争なのかもしれない。そういうことは、もっと人口に膾炙するべきではないかと思う。
同様に近年起こった戦争、紛争のなかで最も注目されたのはイラク戦争で、Wikipediaによる、関連している対立双方の戦闘員の死者は大きめに見積もった数字で約5万人弱(先ほど調べた段階で)。非戦闘員の被害はとりあえずざっと見た感じ、Wikipediaの日本語版にはまとめられていないようだ。「イラク・ボディー・カウント」というサイトに今出ている数字は約9万5000人から10万4000人(サイトの上では一桁まで記されている)となっている。こちらは民間人の数だということなので、2003年から現在までの7年間に15万人程度の犠牲者を出したことも考えられる。(参考までに、だが)
mixiで読んだニュースによると、ダルフール紛争では30万人が死亡したとされている。イラク戦争が注目されたのは世界最大の軍事大国であるアメリカ合衆国が先導してひきおこしたからであり、そちらは先進国が関与していたなかでは近年最大規模の戦争なのだろうが、この紛争集結に至るかもしれないニュースの注目度の低さたるや、あきれるとしか言いようがない。
しかし、誰に対して? マスコミに? そしてそれはどこのマスコミに対して? あるいは人類の知性というものに対してあきれるしかないといったような話ではないのか。


グローバリズムというと、(自由)経済流通の世界化とでも言い換えられるかたちで使われることがほとんどだが、情報のグローバリズム(?)ならば私が今こうしてこんな話題にアクセスしてこんなコメントを書けるというようなことだとも言える。
そうすると、とりあえず私のアクセスしているグローバルな情報の質というものは、世界で最もひどい人為的災害(?)を、あまり自分たちに関係がないからちょっとだけしか伝えようとしなくていいだろう、というようなものでだ。私たちがたとえば日本にいて、その日本国を挙げてしていることというのは、多くの人を見殺しにしていることは知らずに済ませ、しかし自分たちの豊かで安寧な暮らしをなるべく安価に得るグローバリズムは追認しつづける、といったものである。というように記述することも可能だろう。そしてそれはそんなにおかしな見方ではないのではないかと思う。